2019年4月28日日曜日

☆ 八丈島への道

2017年7月

 2泊3日の島流しの刑というわけではないけれど、3日間のフリーな日ができたので八丈島に行ってきた。
 八丈島への道は飛行機か船。飛行機はANAが羽田から毎日3往復。時刻表では片道55分だが、飛んでる時間は正味30分ほど。船は毎日1往復、片道10時間ほど。東京の竹芝桟橋から三宅島・御蔵島を経由して八丈島まで行く。東京発は夜行便、八丈島発は昼便。
 東京から出発するなら、行きは22:30発の夜行の船で、帰りは最終の17:00発の飛行機に乗るのが良さそうだ。仕事帰りに船着き場に直行すれば、寝てるうちに島に着く。最終日は島での滞在時間を確保した上で、それほど遅くならずに家に帰り着く。
 船に乗ると、御蔵島を越えたあたりから、黒潮の影響で波が荒くなると言う。それを体感してみるのもおもしろそうだ。今度行くときは、行きは船、帰りは飛行機で行きたいと思う。

◇ 旅に出る前はいつも少しおっくうになる 
◇ 八丈富士、霧バージョン 
◇ 八丈富士、晴バージョン 
◇ 八丈富士のカルデラ探検 
◇ シダの森 
◇ 地熱発電所の実情 
◇ 南の島の田舎リゾート 

南の島の田舎リゾート

 八丈島は黒潮が流れる絶海の孤島にあって、2つの火山がつながった瓢箪のような形をした火山島です。北西側が新しい火山(八丈富士)で溶岩台地と低木と草地が広がっています。海からニョキッと突き出た円錐形の火山の中央にカルデラがあって、カルデラの縁をぐるりと一周歩けます。南東側が古い火山(三原山)で、時間が経った分だけ風化侵食も進んでいます。植生も豊かで、水も豊富で、温泉もたくさんあります。
 黒潮の水蒸気をたっぷり帯びた空気は、風がどちらから吹いても山の斜面を駆け上がるうちに冷えて雲になります。ですから八丈富士・三原山とも山頂にはたいてい霧がかかっています。
 写真は三原山の麓に広がるシダ(ヘゴ)の森。水気の多い沢沿いに広がっています。恐竜が出てきそうな景色ですね(この場所は、霧がかかっているとなお良さそう)。
 お宿は民宿に泊まりました。ラッキーだったのは、泊まり客に釣り人がいて、その人が釣ってきた魚が夕食にずらりと並んだこと。その宿の常連さんで、毎度のことらしいです。みんなでパクつきました。ホテルではあり得ないこと、民宿ならではですね。
 この島ではお年寄りが元気です。火山学者、シダ類博士、明日葉料理研究家などどなたとお話ししても感心しきりです。こんな島に羽田空港から片道55分で行けます。週末に気軽に行ける南の島の田舎リゾートです。

左上:溶岩と八丈小島  右上:うろこ雲  右下:シダ(ヘゴ)  左下:唐滝  中:鳥居

2019年4月27日土曜日

旅に出る前はいつも少しおっくうになる

(2017年7月)

 旅に出る前はいつも少しおっくうになる。家でのんびりしてる方が良いんじゃないか、家族にも多少の不便をかけるし、家にいれば手の届くところに何でもあるし、お金もかからない。旅に出るのって意外と面倒くさい、そういう面も確かにある。
 そんなことを考えながら、でももちろん出かける。飛行機の予約など済ませてあるし、楽しみにしていたんだし、今さら行かないという理由もないから、もちろん出かける。こんな風にして今朝、家を出た。
 そして目的地に着く頃にはワクワク。出かける直前は意外とそんな感じなのだが、行くんじゃなかった、出かけて残念だったという経験はない。結局はいつもどこへ行っても、来てよかったと思う。今日から3日間の八丈島ライフが始まった。

八丈富士(霧バージョン)

 八丈島の最高峰、八丈富士はきれいな円錐形をしている。今日は山の上半分だけに厚い雲がかかっていた。


 それでも山頂に登ってみた。山頂付近はカルデラになっている。すなわち中央部が大きく凹んでいて、その周りを尾根がまぁるく取り囲んでいる。尾根伝いにぐるっと一周まわれる。


 上の写真はいずれも中央側が火口で、外側が海側である。霧のため火口はほとんど見えなかった。火口の反対側には海が広がっているはずなのだが、今日はまったく見えなかった。
 ここの霧は吹きつける霧。しばらく歩くうちに髪の毛もメガネもビショビショになった。明日か明後日に晴れていることを期待してもう一度登るつもり。

八丈富士(晴バージョン)

 昨日の八丈富士は濃霧の中だったが、今日の八丈富士は晴れ。眼下に海も見えたし、火口も見えた。


 でも、快晴というわけではない。ときどき、そして場所によって霧がかかって、景色があまり見えなくなった。
 考えてみると、ここは黒潮流れる絶海の孤島。夏のこの時期、空気は水蒸気を多く含んでいる。となれば風がどちらから吹いても、風が山の斜面を駆け上がるうちに雲になる。こうして山頂には毎日のように雲がかかる。きっとそういうことなんだろう。

 ところで、昨日の霧の中を歩いたのは正解だったと思う。結果として、霧の八丈富士と晴の八丈富士の両方を経験できた。はじめに霧バージョンを経験したのが特に良かった。というのは、先に晴バージョンを経験してしまうと、それで満足しただろうからだ。それで霧バージョンを経験せずに済んでしまったならば、非常に勿体無いと思うのだ。
 八丈富士山頂付近が霧で覆われるのはむしろ普通のこと。たぶん晴れの方が珍しい。そこで僕の提案。晴れるのを待つより、霧の中を歩いてみよう。その方がいろんな八丈富士を経験できて、むしろ良い。

八丈島でカルデラ探検

 八丈富士の山頂はカルデラになっている。カルデラとは、マグマが噴出してできた空洞が陥没してできた窪地のこと。カルデラの淵が円形に連なって、尾根(外輪山)を成している。尾根に沿った道(お鉢巡り)が整備されていて、その道を歩くと、片側に海、もう片側にカルデラの内側がよく見える。
 そしてその後の火山活動でカルデラの中に新しい噴火口ができて、再び盛り上がった。その場所を中央火口丘と呼んでいる。八丈富士の山頂は、そんな構造になっている。
 さて、地図を見ると、カルデラの中に道がある。いや、地図によってあったり無かったりなのだが、カルデラの中に入っていく道があると言えばある。
 一つは、尾根からちょっと下ったところにある浅間神社への道。地図で見ると、距離は短い。もう一つは、中央火口丘への道。こちらはいったん下って、また上るコースだ。距離もやや長くなる。
 まず初めに浅間神社に向かった。10分程度で到着。難はない。神社の脇を数メートル進むと、陥没でできた垂直な壁とカルデラの底が間近で見られる。みなさんにもお薦めしたいコースだ。
 いったん戻って、次に中央火口丘に向かった。こちらは行く人が少ないようで、樹木が生い茂って、道がわかりにくい。一人で心細い思いをしながら、多少迷いながら、何とか行って戻ってきた。こちらのコースは、みなさんにはお薦めできない。

上:浅間神社脇からの景色
下:中央火口丘

 中央火口丘に二人以上で行ってはならない。二人以上で行くと、お互いに相手を頼って「こっちかな」「いや、こっちだろう」と言っているうちに、きっと道を見失う。一人で行って、道中の光景や特徴を記憶に留めながら進む方がたぶんマシだ。いや、どっちにしてもガイドなしにその道を進むのはやめた方がいい。

シダの森(八丈島)


 ひょうたん型の八丈島の北西部は新しい火山(八丈富士)で、風化侵食が進んでいないから山の形は円錐形できれいだが、時間が経っていないから植生に多様性は少ない。水をたくわえる土壌にもなっていないようで、住む人も少ない。
 一方の南東部は古い火山(三原山)で、時間が経った分だけ侵食が進み、森も発達して、植生の多様性が豊かだ。水も豊かで、人も多く住む。温泉が多いのもこちら側だ。そんな南東部の一角に、シダの森がある。水気の多い沢に多い。この場所は、 の中を歩きたい。

地熱発電所の実情(八丈島)

 八丈島は火山島だから温泉が豊富で、地熱発電所 がある。運転しているのは東京電力で、発電所の敷地内に八丈町立の施設「八丈島地熱館」がある。
 見学してきた。客は僕一人で他には誰もいなかったおかげで、係りの人は丁寧に説明してくれた。
 解説のためのビデオで、こんな話をしていた。
地熱を発電に利用した後に、温水を近隣の農園・ビニールハウスに送って作物を栽培している。
パッションフルーツやパパイヤなど熱帯・亜熱帯系の作物を育てているらしい。ビデオの中で農家の人はこう言っていた。
以前は灯油を燃やしていたが、地熱による温水を使うようになってコストが10分の1になった。
実際、地熱発電所の周りにはビニールハウスがあって「えこ・あぐりまーと」という農産物販売所もある。僕は係りの人にいろいろ質問してみた。そこでわかったこと。
 東京電力から温水の供給を受ける契約はすでに切れている。地熱発電所の操業開始は1999年で、そのとき15年間の契約を結んだが、その契約は2014年に切れていて、現在は温水は供給されていない
地下の熱水にいろんな鉱物が溶け込んでいるからだろう。機械の耐用年数はあまり長くないようなのだ。発電そのものは続けているが、それもいつまで続けられるかわからないらしい。こういう実態はビデオでは紹介されないので、気になるなら積極的に質問した方が良い。案外普通にきちんと答えてくれる。
 その後ですぐ近くにある「えこ・あぐりまーと」に行ってみた。普通に営業していて、農産物や土産物を確かに売っていたが、客はいなかった。そこは住宅街からも少々離れている。だからだろう、地元の人の姿もなかった。客がいなかったのはたまたまかもしれないが、そこに大勢の客が来る様子は想像できない。

2019年4月22日月曜日

竹の橋(ラオス)


 ラオス北部の山岳地帯、ルアンナムターの中心地から徒歩10分ほどの所にある竹の橋。支柱も竹、路面も竹。生活道路だからモーター・バイクも通るが、ヨロッとなったときのことを想像すると、ここをバイクで通るのは勇気がいる。すぐそばで子供が水遊びをしていた。

2019年4月20日土曜日

投票する意味

 着物は日本独自の伝統文化である。だから、これからもずっと続いてほしいと思う。中には何百万円もするものもあるらしいが、それもまた文化の水準を維持するためには必要なことなのだろう。
 ところで、誰も買わなかったら、着物産業は廃れてしまう。一定の数の人がそれを買うから、伝統が守られる。とは言え、自分がそんな高価なものを買うつもりはない。伝統は守りたいが、着物そのものは要らない。要するに、着物の文化を守り発展させるためには、自分以外の多くの人がそれを買うのが一番いいわけだ。

 さて、先日の選挙。民主主義を守るために、選挙制度は必要である。選挙があるから、民意が政治に反映される。だから有権者の一定数は、投票しなきゃいけない。そうでなければ、民主主義が脅かされる。
 とは言え、有権者全員が投票しなくても条件は満たされる。つまりは、一定数が投票するのであれば、自分は投票に行かなくてもいいわけだ。
 歌舞伎の伝統を守るためには、それを経済的に支える熱烈なファンがいなきゃいけない。サッカーのワールドカップで日本が優勝するためには、その背後に多数のサッカー人口が不可欠だ。だけれども、自分が歌舞伎ファンやサッカープレーヤーにならなきゃいけないというわけではない。



 大きな声では言いにくいが、また誰かに小言を言われそうだが、ボクは今回も選挙に・・・(以下、略)。

★ むすめ自慢

 娘が通っていた保育園の先生とネット上でつながった。そこでこの場で、先生宛に卒園後の娘の成長ぶりを報告します。いや、「むすめ自慢」します。
◇ 子供の気持ちと大人の気持ち (小1) 
◇ ともチョコ         (小1) 
◇ 図書室のキャラクター    (小2) 
◇ 娘の読書感想文に驚いた   (小3) 
◇ 手作りハロウィン・パーティー(小4) 
◇ 卒業式はランドセルで    (小6) 
◇ ベースやりたい!      (中1) 
◇ サンタさんへのお願い    (中2) 
◇ 特技            (中3) 
突然ですが、ネットで「ちいちゃんのかげおくり 感想文」などのワードで検索をかけてみてください。Google でも Yahoo! でもいいです。そうすると上から2番目に、娘が小学3年のときに書いた読書感想文が出てきます。
 娘の感想文がネット上で拡散しているようです。Yahoo! Blog には「アクセス解析」という機能があって、記事を書いた私には分かるのですが、この夏の間、毎日20~30件ほどのアクセスがありました。たぶん夏休みの宿題の参考にしているのでしょう。…と、そんな話を娘にしたら、娘は照れていましたが。
 おかげさまで、娘はおもしろい人材に育っていますよ。これからも楽しみです。

クリスマスプレゼント、ダブルでゲット!?

(2009年冬)

兄(ウチの息子)が 妹(娘)に言った。
サンタクロース、いるに決まってんじゃん!
そう思ってれば、パパ・ママからとサンタさんからと両方からプレゼントもらえるよ。
「サンタはいない」なんて言っちゃったら、プレゼント1つだけになっちゃうんだよ。
それでいいの?・・・ だからね、サンタさんはホントにいるんだよ。
妹は納得して(?)うなづいた。
「サンタクロースがいるのか、いないのか」 について、小学校1年生ってのは微妙なお年頃。
えっ、待てよ? 結局オレがなんとかしなきゃいけないってこと???

「いちについて、よーい、どん」が変わる

(2011年5月)

 陸上競技のスタートのコールはこれまで各国ごとに違っていた。国際大会でも開催国によってまちまちだった。
 日本ではおなじみの「いちについて、よーい、どん」である。
 それがこのたび英語に統一された。国際陸上競技連盟でそのようにルール改訂したのである。
 英語のコールは次の通り。
On Your Marks.        (いちについて)
Set.             (よーい)
Ba~n (ピストルの音)    (どん)

 日本の中学・高校の陸上競技大会でもだんだんその方向に変えて行くという。全国大会では今年からそうするらしい。おそらく数年後にはそれで統一されるんだろう。
 最初は違和感があるかもしれないが、すぐに慣れるだろう。想像するに、「よーい」の声では腰がゆっくり上がっていくのに対して、「Set」と言うと腰がピッと上がりそうだ。

 さて、運動会の徒競走ではどうなるんだろ? 日本の伝統に従うのか、国際標準に従うのか?

水道道の春 あるいは 巨大なシヴァ・リンガ

 ウチの近所にある巨大な円柱状の建物。 高台に建っているので見晴らしのいいところに出ると視界にでぇーんと現れる。水道局の敷地内にあること、すぐ横を通る道が「水道道」(すいどうみち)と呼ばれていることから水道関係の施設であることは間違いと思うが、現在も使っているのかどうかは知らない。あまり見栄えのいいものではないが、ちょうど桜の季節なので写真に撮ってみた。


 僕は「巨大なシヴァ・リンガ」と呼んでいる。信仰しているわけではない。

某大卒のネットワーク

 文科省管轄でない大学(正式には大学校)はいくつかあるが、東ティモール・コーヒー・ツアー の参加者にその中の1つ、某大卒の人がいた。年齢は私とほぼ同じ。彼のネットワークが面白い。
 某大卒の多くは国家公務員になる。所属する役所はみな同じ、某〇省もしくはその関連組織である。日本の役所によくあることだが、その役所ではピラミッド型の年齢構成を維持するために、年を経るごとに一定数が退職して、関連企業などに転職する。この慣例は天下りと呼ばれることもあるが、某〇省の特殊性だろう、某〇省から転職する先は世界中に散らばっている。こうして私の職種にはとても作れないようなネットワークが出来上がる。
 先日、彼と会った。彼が焙煎してくれた東ティモール産のコーヒーを受け取り、一緒に食事しながら話した。従軍慰安婦とされている問題について語り、次はミャンマーのコーヒー農園に行こうと盛り上がり、フィリピンに親子で語学留学するプランについて情報交換した。彼の同期が韓国・ミャンマー・フィリピンにそれぞれ居るのだ。彼は「飛ばされた」という言い方もしていたが、彼の同期の人たちはそれぞれの場所に根付いている。
 その場で彼と Facebook 上で友達になった。そのつながりを細く長く保っていきたいと思う。彼本人のみならず、彼のネットワークにつながっていたいという狙いもある。
 今回の東ティモール・ツアーに参加して良かったことの1つは、普段の生活ではなかなか知りえない人たちと知り合いになったこと。NGOのスタッフもそうである。

2019年4月19日金曜日

まほろば

 「まほろば」という言葉、普段使う言葉ではないが、聞いたことのある言葉ではある。意味はというと、よく分からない。
 漢字はない。いつもひらがなで書きあらわす。だから、この言葉は和語だ。古い言葉に違いない。気になって調べてみた。
 そうして分かったのだが、その言葉が使われているのは古事記くらいしか見当たらない。現代では音楽のタイトルや歌詞の中などで使っているが、古事記の後1000年以上の間にほとんど使われた形跡がないのである。
 古事記の中でその言葉が使われているのは、倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだ歌の中だ。
倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる(やまこもれる) 倭しうるわし
有名な歌だが、「まほろば」は古事記の中でもここでしか出てこない。現存する日本の書物の中で最も古いものの中で1回だけ出てきて、それ以来ほとんど使われることがなかったものを、最近になってちらほら使うようになった。どうもそういうことのようである。
 そうだとすれば、「まほろば」の意味は如何ようにも解釈できる。歌の中であれば、なおさらだ。意味がよく分からないにせよ、悪い意味ではなさそうだし、そんなことより耳障りがよくて、なんだか不思議な感じがして、またなんとも心地よい。そんな言葉である。

SNS疲れ知らず

 「SNS疲れ」という言葉がある。僕はブログをはじめて10年以上、フェイスブックをはじめて5年になるが、疲れを感じたことはない。書くべきネタが無いときはままある。それでも続いているということは、結局のところネタがそこそこあるということだ。
 SNSに「疲れた」という人、実際いるんだろうか。「飽きた」という人、そしてSNSから「離れた」という人ならいそうだ。そこから大したものが得られないと思って、あるいはリスクを勘案してSNSを「止める」というなら想像がつく。けれども「疲れた」というのは想像しにくい。
 結局のところ「書くことが無い」からSNSから「離れる」人が多いのではないかと僕は想像するのだが、いかがだろうか。

目黒駅が品川区にあって品川駅が港区にある件

山手線の品川駅は品川区ではなくて、港区にある。
山手線の目黒駅は目黒区ではなくて、品川区にある。
新宿駅の半分は新宿区に、残り半分は渋谷区にある。
渋谷駅は渋谷区にある。これだけは一致している。

たたら製鉄の夕べ

(2018年秋)

 刃物工場のイベントで、日本古来のたたら製鉄に挑戦する傍で、ナイフの切れ味を体感しながらのバーベキュー。どちらも客にも主催者にも楽しい企画だった。客は無料、経費は主催者と有志持ちで、これもまた素晴らしい。

明るいうちに火を入れて(写真左上)、夜になって鋼(はがね)を取り出す(右上)。
牛肉の表面を削ぎ落としたり(左下)、丸焼きした鳥を切り分けたり(右下)。   

シリアの避難民は何から避難しているのか?

(2015年11月)

 シリアではアサド政権と反政府組織とIS(イスラム国)が三つ巴の争いをしていて、そこにアメリカとロシアが絡んでますます危ないことになっている。その影響でシリアから大勢の難民・避難民が出ていることがニュースになっている。
 さて、シリアからの難民・避難民が何から避難しているのかというと、個々に見れば様々だろう。それについて僕が聞いた中で説得力があると思った見解を紹介しよう。
 「一番大きな原因は空爆である。数では、空爆を逃れようと避難する人たちが最も多い。ところで、空爆しているのは誰かというと、まずはアサド政権、そしてアメリカとロシアである。反政府組織やISは空爆できるような武器を持っていない」と。
 ISのやっていることはひどいと思うし、それから避難している人たちも多いのだろうけれど、難民・避難民を生んでいる最も大きな要因はそれではない、という見解だ。
 難民のニュースとISのニュースを同時並行に流せば、受け取る側は「ISから逃れて難民・避難民になっている」という印象を持つだろう。けれども冷静に考えてみれば、先ほどの見解の方がいかにもありそうなことだなと思った次第である。

2019年4月15日月曜日

ちっちゃいものが大好きな人たち

 昔の日本の道は細かった。東海道といえども、山に入ればケモノ道で、里に下りればあぜ道だった。山がちで雨の多い土地だから、集落の辺りだけ木を切り土を踏み固めたが、他は茂みとぬかるみばかりだった。だから隣村に出かけるには、馬車も荷車もほとんど役に立たなかった。人は荷物を手に持ってテクテク歩いた。大名行列が「下にぃー、下にぃー」と進んだのは街中だけで、ほとんどの行程を殿様も姫様もせっせと歩いた。
 日本には、馬に乗って駆け回るような草原はなかったし、荷車を引けるような乾いた平地もなかった。あるのは茂みとぬかるみばかり。平らなところはぬかるんでいて、それ以外のところは生い茂っていた。そこに人ひとりが通れる道を通すのが精いっぱいだった。つい最近まで、日本はこうだったのだ。もちろん、人をして石畳を敷き詰めさせるようなバカも、他人に物を持たせて手ブラで歩く不届き者もいなかった。
 出掛けるからには何がしかの物は持っていくことになる。でも手で持つしかないので、なるべく小さくしたい。そうして日本人は、物をちっちゃくすることにこだわるようになった。ちっちゃいものが大好きになった。風呂敷1枚あれば、大きなものでも小さなものでも包めるし、たためば小さくなってポッケに入る。竹で編んだカゴがあれば、魚でも薪でも赤ん坊でも何でも背負えるし、空になれば実に軽い。
 そのDNAが、ボクら日本人の中に生きている。乾いた現代日本に住むボクらの中にも、厳として生きている。1つは、物作り大国ニッポンの労働者・技術者として。もう1つは、モッタイナイという価値観として。ボクたちのDNAによれば、大きなものは無駄なのだ。たくさん持つのはバカなのだ。モッタイナイの心は、物を動かすことで満たされるのではなく、極力動かさないことで満たされる。

・・・聞きかじった話を寄せ集めて、適当に空想を交えて書いてみました。。。

預言者列伝

 ユダヤ教の預言者モーセと、キリスト教の預言者イエスと、イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)はいずれも今でいう中東出身者だ。現在の人種・民族の分類でいえば、いずれもアラブ人ということになる。中でもイエスは、彼がもし今生きていたらパレスチナ人と呼ばれることだろう。
 さて、預言者はみんなアラブ人かと言うと、そうでもない。モンゴロイド(モンゴル系の人種)にもいる。ブッダである。彼はインドで教えを広めたが、彼はインド人ではない。ネパール人だ。そして彼はインド系ネパール人ではなくて、モンゴロイドのネパール人なのである。
 仏教は一時インドで広がりつつあったものの、じきに寂れた。一方で、ヒマラヤを越えてチベットに渡り、海を越えて東南アジアに渡って、そこで定着した。彼の教えがモンゴル系であることの証であり、彼がモンゴロイドであったことの証である。
 クリスチャンはイエスを預言者とは呼ばないが、一神教の系譜からすると彼も預言者の一人である。仏教圏で生活する人々はブッダを預言者とはみなさないが、唯一神を信じる人たちの目には預言者に映る。実際、ムスリムははっきりとそう口にする。だから「仏教徒もイスラム教徒も同じだ」と言う。
 
 ところで、預言と予言は違う。予言は「未来のことをあらかじめ言う」こと、預言は「神の言葉を預かる」こと。気象予報士のお姉さんは予言者であって預言者ではない。巫女さんは預言者であって予言者ではない。占い師を予言者とみると詐欺師だが、預言者とみれば聖者である。

脳内リゾート

○ 脳内リゾート
○ ちょっとした創作
○ つつましい暮らし
○ つながる家族
○ 話し合う仲間
たくさん消費することが幸せというわけではないし、この先十分な収入があるとは限らないし、人間はもともと一人で生きられるようにはできていないので、お金をかけずに楽しみ、暮らし、家族や仲間とつながることで暮らし、楽しむことを考えた方がいいんじゃないかな。

2019年4月14日日曜日

☆ ミャンマーが好き!

ヤンゴンあたり
  ◇ チャイティーヨ(ゴールデン・ロック・パゴダ)
  ◇ チャゥカラッ・パゴダ
  ◇ ノアラボー・パゴダ
  ◇ 岩パゴダ巡礼の旅
  ◇ ヤンゴン環状線
  ◇ 自分へのご褒美

マンダレーあたり
  ◇ ウー・ベイン橋
  ◇ 七五三のママたち
  ◇ ミャンマーの手仕事
  ◇ 僧院って寄宿制の男子校みたいなものだな
  ◇ It's a Buddha world
  ◇ ミャンマーの神は丘にいる
  ◇ ミャンマーでこしひかりプロジェクト

パガンあたり
  ◇ パガン
  ◇ パガンの泊まり方・廻り方
  ◇ ヒマがあるとパゴダを造っちゃう人たち

インレー湖あたり
  ◇ ミャンマーの村で一晩過ごす
  ◇ ミャンマーのエネルギー事情

西の方
  ◇ 
  ◇ 

南の方
  ◇ 骸骨の艶かしさ
  ◇ 

バガン(ミャンマー)

(2010年冬)


  • バガンは世界最大規模の仏教遺跡である。でも、ユネスコの世界遺産には登録されていない。
  • そしてここは、ヒンドゥー教の影響をほとんど受けていない。いわば純粋な仏教遺跡である。
  • ところで、これらの寺院・バゴダは、土地の人にとって遺跡ではない。信仰の対象である。
以上3点が、アンコール・ワット(カンボジア)やボロブドゥール(インドネシア)と異なる点である。すなわち、
  • アンコール・ワットとボロブドゥールはどちらも世界遺産に登録されているが、
  • 仏教遺跡というよりヒンドゥー教の遺跡と言った方がよいくらいで、
  • そして現地の人の信仰を集めているとは言い難い。
俗に世界三大仏教遺跡というとアンコール・ワットとボロブドゥールとバガンを指すが、バガンが一番 だと思う。

ヤンゴン環状線(ミャンマー)

(2017年夏)

 ミャンマー旅行の最終日、昼頃にホテルをチェックアウトして、夜中のフライトまで時間があるので、ヤンゴンの環状線に乗ってみた。1周45.9kmの間に39駅あって3時間で1周します。
 参考までに東京山手線が34.5kmの間に29駅あって1周60分、大阪環状線が21.7kmの間に19駅あって1周45分ですから、それと比べるとヤンゴン環状線はやや広めの範囲をだいぶゆっくり走るということになります。
 ヤンゴン環状線を1周する切符(ヤンゴン中央駅発ヤンゴン中央駅行き)はヤンゴン中央駅でしか買えないということで、まずヤンゴン中央駅に向かいました。一角にさすがに今は使われていない蒸気機関車が展示されていました。途中、線路に洗濯物が干してあったり、途中の駅のホームは市場さながらだったりと、ヤンゴン市民の日常が垣間見れます。


 それでもまだ時間が余っていたので、ショッピングしてマッサージして散髪してご飯食べて、以上でミャンマー旅、完了です。

ノアラボー・パゴダ(ミャンマー)

(2017年夏)


 チャイティーヨ・パゴダ(ゴールデン・ロック・パゴダ)、チャゥカラッ・パゴダに続いて3つ目の岩パゴダはノアラボー・パゴダ。
 乾季には巡礼者も多く、行きやすいのだろうけれど、雨季には巡礼する人が少なくて、麓からドラックバスをチャーターしなければならないので高くつく。

☆ フィリピンが好き!

◇ 一番のお気に入りは コロン
├→ コロン島への道
├→ コロン全景
└→ サンゴが腹に刺さる

◇ それはそうと、フィリピンの 全体像
├→ フィリピン島めぐり計画
├→ フィリピン紙幣の絵柄がきれい
├→ フィリピンはなぜ明るいのか?
├→ タール湖 と タール火山
└→ 英語学校に潜入取材

◇ マニラ はこんなところ
├→ マニラの下町
└→ グローバルシティー

◇ 他の島 もいろいろ
├→ 来て見てわかるタクロバンの今(レイテ)
├→ プールはすっぽんぽんで(ボラカイ)
├→ 踏切のある空港(ボラカイ)
├→ 暑い日本を避けて南の島に避暑にいく(パラワン)
└→ ワニはシーフードか?(パラワン)

 これまでフィリピンに行ったのは8回。僕の知る限り、 海が一番きれいなのはフィリピンです。

フィリピン英語学校、潜入取材計画

(2016年春)

 フィリピンは英語圏です。島国で統一言語がなかった頃にアメリカの植民地になって、英語が共通言語になりました。今ではテレビ番組はほとんどすべて英語放送ですから、子供も老人もみんな英語がわかります。
 英語留学というと、これまではアメリカ・イギリス・オーストラリアなどが主流でしたが、それらの国々はどこも遠い。それに比べてフィリピンは日本から近いから、早く安く行けます。
 しかもフィリピンは物価も人件費も安いですから、フィリピンの英語学校の多くはマン・ツー・マンで習えます。ここが米・英・豪と大きく異なる点で、米・英・豪では集団で勉強することになりますから、一部屋に日本人ばかり集められて、結局のところ日本で英語を勉強するのとあまり変わらないことになりがちです。それに比べて、マン・ツー・マンで習えば、学習効果はだいぶ違うでしょう。それでも安く上がるのは、人件費が安い故です。
 日本人のフィリピン英語留学は、サラリーマンの方から始まったようです。お盆休み・正月休み・ゴールデンウィークなどを利用して1週間の短期留学、あるいは会社から命令されて会社の費用で派遣されたりということが多かったようです。その後、大学生にも広がりました。そして次第に年齢層が下がってきて、最近では中高生で短期にフィリピンに英語留学に行く人も増えてきました。大学入試改革で大学入試に英会話が入るようになると、フィリピンに英語留学に行く中高生はこれからますます増えるでしょう。
 ちなみに、以前から韓国の中高生がフィリピンに大勢で英語留学していました。韓国は日本以上に受験競争が厳しくて、大学受験でも就職でも日本以上に英語が重視されていることが影響しているのでしょう。
 ちなみついでに、日本人留学生はマニラ近郊に多く、韓国人留学生はセブに集中しています。自然とすみ分けるような形になっているわけですが、そのわけは恐らく飛行機の便に因ります。日本系の航空会社はマニラだけに就航していて、韓国系の航空会社はセブにもたくさん就航しているからです。
 そしてそれにはまた訳があって、日本企業と韓国企業のビジネス展開の違いに因ります。私の感覚ではアジア一帯で言えることですが、大雑把に言えば、日本企業は首都など大都会を押さえて、韓国企業は地方で展開する。だから私がアジアのかなり辺鄙なところを旅行しても、どこに行っても韓国人ビジネスマンがいる。恐らくそんな事情もあって、日本人はマニラ近郊、韓国人はセブとすみ分けることになっているのでしょう。

 前置きが長くなりましたが、今年の夏、フィリピンの英語学校に潜入取材します。どのようにやるかというと、普通に英語学校に通います。2週間の予定で、すでに予約してあります。
 同行者もいます。中学2年生の娘です。実は私は去年の夏にも計画を立てたのですが、当時中学1年で英語を勉強し始めたばかりの娘は乗ってくれませんでした。それをなんとか今年は説き落として、ようやく実現する運びとなりました。
 潜入取材以外にも目的があります。それは、英語の勉強。私も中学1年の時からずっと英語をペラペラしゃべれるようになりたいと思っていました。結局いまだにろくにしゃべれないのですが、それから40年ほど経って再チャレンジです。今度こそペラペラになるんじゃないかと夢見ています。
 もう一つの目的は、娘の英語の勉強。まだあります。英語学校は土日が休みなので、週末には娘と2人でビーチ・リゾート。などなどたくさんの目的をもって、夏に潜入取材してきます。効果のほどや学習環境など、後日レポートします。

フィリピンはなぜ明るいのか?

(2014年GW)

 フィリピンに来てみると、とても活気を感じます。人がとても明るいのです。それはタクロバンでも同じ。
 さて、フィリピンはなぜ活気があるのか? なぜ明るいのか?
 その訳は、人口ピラミッドを見れば明らかなんじゃないでしょうか。
 上は 2010 年のデータですが、フィリピンの人口は 2013 年に1億人を超えたらしいです。この人口ピラミッドを見る限り、フィリピンの人口が日本の人口を超えるのは時間の問題でしょう。
 タクロバンの海沿いに暮らしている小学生くらいまでの子供たちは、みんな海で遊んでいます。中学生・高校生くらいの男の子はみんな、広場でもしくは路上でバスケットボールをしています。
 家を失った子、家族を失った子、貧しい家庭の子もいるんでしょうに、これだけたくさん子供がいると、子供たちも大人たちも旅行者も、きっと明るい気分になるんでしょう。
 だからフィリピンは活気があるんです。明るいんです。

フィリピン島めぐり計画

 フィリピンの島国っぷりは日本の比ではない。それはインドネシアをも超えて世界 No.1 である。

フィリピン旅行に行くならいくつかの島をめぐりたい。さて、1週間~10日ほどでどんなルートが組めるか。
 高級リゾートでのんびりしたい妻と、ビーチホテル街でにぎやかに過ごしたい息子と、海やプールでひたすら遊びたい娘と、片田舎をぶらぶら歩きたいボクと、みんなの希望を満たすのは難しい 。。。

フィリピン紙幣の絵柄がきれい

(2017年夏)

 娘がフィリピンの語学留学から帰ってきて、余ったフィリピン・ペソを僕が回収した。そこで初めて気づいたのだが、どの紙幣にも片面にフィリピンの地図と観光名所の絵が載っている。
 1000ペソ紙幣の絵柄はサンゴ礁(Tubbataha Reefs)。500ペソ紙幣は洞窟(Subterranean River)。200ペソ紙幣は丘陵(Bohol Chocolate Hills)。100ペソ紙幣は火山(Mayon Vocano)。50ペソ紙幣はカルデラ湖(Taal Lake)。20ペソ紙幣は棚田(Banaue Rice Terraces)。


 ところで、先週までいたミャンマーの紙幣がどんなだったか、まるで記憶にない。

コロン全景(フィリピン)

(2011年冬)

 コロンの裏山に登った。下に見えるのがコロンの街の全景、対岸左手に見えるのがコロン島。コロン島の切り立った岩陰に湾や湖が広がっている。
 埋立地をどう使う予定なのか、プランはあるらしいが、とん挫しているようだ。当分はたぶんこのまんま。今はトラックやジープニーの発着場になっている。ジープニーには人だけでなく、米もブタも乗り込む。
 

 写真右下がボクの定宿(2泊ずつ2回泊まっただけだけど)。海の上にあって、橋を渡ってアクセスする。オープン・エアのレストランで海風にあたりながら一日中読書・ネットしていられる。
 写真左がカラミアン諸島全図。1番大きい島がブスアンガ島で、2番目がクリオン島、3番目がコロン島。
  がコロンの街で、 が別のリゾート。カラミアン諸島がフィリピンのどの辺りかは こちら に。

グローバルシティー(マニラ)

(2014年GW)

 マニラの新市街ボニファシオ地区、別名「グローバル・シティー」と現地では呼んでいる。
 その街並みは「六本木ヒルズと東京ミッドタウンと虎ノ門ヒルズを3つ合わせて、ゆったり配置した街並み」と言ったらいいだろうか。あるいは「あか抜けた横浜みなとみらい地区、同時に企業誘致に成功した姿」と言えるかもしれない。もしくは「バカ高くないドバイ、スケールはデカいが物価はリーズナブル」とも言えそうだ。


 タクシーの運転手の話によると、世界中の企業がここにコールセンターを置いていると言う。フィリピンは実は英語圏だから、英語には不自由しない。また、インターネットの普及で場所を問わなくなった。アメリカ企業が地球の裏側にあるここにコールセンターを置けば24時間対応が可能になる。日本企業は外国人からの電話をここに転送して対応しているらしい。世界規模の通信会社や証券会社のビルもあった。通りには有名ブランドの店が並び、フィリピン人のビジネスマンと若いカップルと外国人の家族連れが歩いている。
 ボクのGWの旅行の1泊目はマニラの下町に泊まったので、3泊目はここボニファシオ地区に泊まってみた。ボクは昨日暗くなってから着いて、今朝明るくなる前に去ったので昼間の様子はわからないが、ほんのしばらく滞在して少しばかり歩いてみて、ボクはびっくりしたのだ。これからフィリピンがますます面白くなりそうだ。

マニラの下町(フィリピン)

(2011年冬)

 今ボクはマニラ空港からほど近くにあるホテルにいる。この辺りはマニラの下町みたいなところである。
 
◇ 世界で3番目に英語を話す人が多い国
 フィリピンは世界で3番目に英語を話す人が多い国だという。フィリピンの人口は9400万人ほど、世界 12 位で公用語は英語とタガログ語だから、なるほど世界で3番目というのもうなずける。テレビの中でも英語とタガログ語を使っているくらいだから、英語の通用度は高い。そこでボクは思ったのだが、英語を学ぶための留学先としてフィリピンは最適なんじゃないかろうか。「うまい、近い、安い」(← 吉野家の「うまい、早い、安い」のパクリ)と3拍子揃ってる。アメリカ・カナダ・オーストラリアで日本人ばっかりのクラスで授業を受けるより、フィリピンで優秀な英語の先生のマンツーマン指導を受けた方が、よっぽど効果的で安上がりなんじゃないかな。
 
◇ マニラのクリスマス
 フィリピンで英語が通用する1つの理由はアメリカの植民地だったからだが、アメリカの植民地になる前はスペインの植民地だった。そんな歴史があるからだろう、国民の 90 %以上はクリスチャンである。そういえば、今日はクリスマス・イブ。夜、近所の教会に行ってきた。建物の中ではクリスマスのミサをやっていてそれはもう真面目というか荘厳な雰囲気なのだが、建物の外で子供たちが光るおもちゃで遊んでいるのは日本の夏祭りと似たような光景で、さらに敷地の外で爆竹が破裂している様はアジアの旧正月みたいなノリである。


◇ 貧富の差
 マニラに巨大なショッピング・モールがたくさんできている。ヨーロッパのブランド・ショップやアメリカのチェーン・レストランがたくさん入っている点と、そして値段も日本のそれとほとんど変わらないが、日本のショッピング・センターよりはるかに規模が大きい。しかも現地の人でよく売れているように見える。それだけリッチな人々がたくさんいるということだろう。
 一方で、貧しい人もたくさんいる。写真下左はジプニーという乗合バス。フィリピンの名物である。庶民の足だ。下右はサイドカー付きの自転車タクシー。20 年前は東南アジアの各地で走っていたが、今では他の国ではとんと見かけなくなった。でもフィリピンではしっかり生きている。
 写真上はブタの丸焼き。店の中で1人前食べてもよし、1頭丸ごとテイクアウトも可。

踏切のある空港(フィリピン)

(2011年夏)


 ボラカイ島は小さい島だから空港が無い。最寄りの空港はパナイ島にあるカティクラン空港である。空港からカティクランの港までは歩いてもいける。港から対岸すぐのところにボラカイ島がある。
 この空港ができるまでは同じパナイ島のカリボ空港が最寄りの空港だった。そこからカティクランの港までバスで2時間かかった。それに比べればずっと便利になった。

 ただ、カティクラン空港は小さい。海と山に囲まれた地形だから、長い滑走路が取れないのだろう。そこに乗り入れているのは写真(↑)くらいの小さい飛行機(72人乗り)だけである。また、小さい飛行機は悪天候に弱いから、遅延や欠航が多くなる。そういう弱点もある。
 さて、それはともかく、カティクラン空港には踏切がある。滑走路の端が一般道と重なっているのである。


 飛行機が山側から着陸すると、踏切の前でUターンしてターミナルに向かう。山側に向かって離陸するときは、踏切の前でエンジンを吹かして加速を始める。
 飛行機が海側から着陸するときと海側に向かって離陸するときは、遮断機の後ろに車や人が並んでいるのが斜め下に見える。駐機場で飛行機に乗り降りするときに海側を覗き込むと、滑走路を一般車が横切るのが見える。
 たぶん空港または港から 10 分も歩けば踏切に行けるはず。カティクランの街を散策がてら行ってみよう。
 ところで、海を埋め立てて現在の滑走路を海側に延長する計画があるらしい。そうなれば大きめの飛行機が就航できて、ボラカイ島への輸送力がアップする。さて、そのとき踏切はどうなるのだろうか?

暑い日本を避けて南の島に避暑にいく(フィリピン)

(2012年夏)

 東京の夏は暑い。気温に湿度、さらにコンクリートの照り返しやエアコンの排気などが加わって、東京の夏の暑さは世界一だ。
 南の島の方がよっぽどさわやかだ。 エアコンなんか要らない。


 東京の暑さを避けて、フィリピンの一島リゾートに避暑に行ってきた。島には体長2mほど(うち半分は尻尾だが)のオオトカゲがいて、時々道路を横切っていった。
 このリゾートには島内を移動するための電気駆動のカートがあった。宿泊客が自分で運転できる。上から見るとソーラー・パネルが付いていて、ソーラーでバッテリーを充電できる代物である。さらによく見ると、ゲスト用のカートにはソーラー・パネルが付いているが、従業員用のカートには付いていない。
 旅行を終えて、暑い暑い東京に帰ってきた。

2019年4月13日土曜日

プールはすっぽんぽんで(ボラカイ・フィリピン)

(2011年夏)

 南の島で専用プール付きの客室に泊まったらすっぽんぽんで泳ごう。すいすい泳げて、気持ちいい。
 ボクが始めたら、娘も続いた。妻は「勝手にやってろ」と部屋に引っ込んだ。


・・・ 実は台風の影響で雨ばっかりだった 。。。

☆ ベトナムが好き!

 ベトナム料理は和食と同様に出汁(だし)の料理。だから日本で食べるとなんだかインパクトがないんだが、ベトナムで食べるととってもおいしい。朝は毎日フォー、昼は毎日バインミー(ベトナム風サンドイッチ)、晩御飯だけ日替わりにすれば、毎日そのメニューでおいしく食べられる。

  ◇ 古民家ホテル(ホイアン)
  ├→ もし江戸幕府が鎖国をしていなければ
  └→ 古文・漢文は関西弁風に訳せ

  ◇ 棚田と市場
  ├→ バックハーの日曜市
  └→ 棚田が耕作放棄地になってしまう未来

  ◇ ベトナム土産
  ├→ 辰(たつ)と 巳(み)
  └→ フォンニャ洞窟への行き方

  ◇ 中越国境越え
  ├→ ベトナムの乗り物あるある
  └→ 中国だと思えばベトナムも楽しい

 2002年冬に生まれて半年の娘と、2013年冬に両親と、2018年春に高校生になったばかりの娘と、2018年夏に一人で、僕のベトナム旅行歴は以上4回。

フォンニャ洞窟への行き方(ベトナム)

(2013年冬)

 ベトナム中部のフエから 200 kmほど北上したところにドンホイの街がある。そこから車で山の方に1時間ほど進んだところにフォンニャ洞窟とパラダイス洞窟がある。どちらも鍾乳洞の洞窟で、フォンニャ洞窟は世界遺産に登録されている。パラダイス洞窟は最近見つかったので世界遺産登録はされていないが、よりきれいなのはパラダイス洞窟だと思う。
 フォンニャ洞窟では地底の川を舟で進む。舟着場からエンジン駆動で 30 分ほどで入口について、そこから手漕ぎで洞窟内に進んでいくから、楽して探検気分を味わえる。パラダイス洞窟へは多少のハイキングをしてから歩いて洞窟内に入っていく。

(左上&右上=フォンニャ洞窟、左下&右下=パラダイス洞窟、真ん中=フォンニャ洞窟の入口)

 さて、これら洞窟への行き方だが、フエから日帰りで行けなくもないが、ツアーバスでも片道4時間ほどかかるので、かなりハードな旅になるだろう。それよりも、ドンホイ(海沿いにはビーチリゾートもある)または洞窟前の旅館街(小さいホテルがたくさんある)で1泊するのがいいだろう。
 ドンホイへはホーチミンまたはハノイから週に4便ずつ飛行機が飛んでいるので、それを使うのが効率的だ。フエやホイアンに行くためにはホーチミンかハノイから飛行機を使うのだろうから、フエ・ホイアンに加えてこれら洞窟にも行くなら、片道をドンホイ便にするのがよい。そうすればフエ・ホイアン旅行を1日伸ばすような形でこれら洞窟を旅程に組み込める。
 ドンホイから洞窟にアクセスするためにはタクシーをチャーターして往復5000円ほど、ドンホイ空港から直接洞窟近くの旅館街に向かうならタクシーで片道2000円ほど。

辰(たつ)と 巳(み) (ベトナム)

(2013年冬)

 今年は午(うま)年だが、一昨年は辰(たつ)年で、去年は巳(み)年だった。

子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥

 辰は龍を、巳は蛇を表す。ところで、十二支の中でこの2つは独特だ。まず、辰(龍)だけが架空の動物である。そして、巳(蛇)だけに毛がない。しかも、この2つは形がよく似ている。

 次の写真はダナンの街を流れる川に架かるロン橋。このデザインは巳(蛇)のようにも見えるが、 ロンは漢字で書くと「龍」だから、これは辰(龍)をデザインしたもののようだ。


 下中のぬいぐるみには足とひげがあるから辰(龍)に間違いない。ついでながら、下左はココナッツの殻で作った菓子皿、下右は薬味入れセット。以上3点、ハノイで買ったお土産。

中国だと思えばベトナムも楽しい

(2013年冬)

 フエ王宮とハノイ城跡はどちらも世界遺産だが、戦争の影響などで傷みが激しくて、観光ポイントとしての魅力に欠ける。むしろ、フエなら郊外に点在する王朝時代の建物、ハノイなら現在信仰の対象になっているお寺などを訪ねるのが楽しい。

左上:ミンマン帝廟(フエ)、右上:カイディン帝廟(フエ)、左下:一柱寺(ハノイ)、右下:西湖府(ハノイ)

 ところで、それらはいずれも中国風なのである。それらを見て回ると、東南アジアというより、どっぷり中国に浸かったような気分になる。しかも、今の中国よりむしろ中国らしくもあり、 中国にはないエスニックさもある。そこを中国だと思えば、ベトナムはなおさら楽しい。

☆ マレーシア・シンガポールで歴史&エコ・ツアー

(2018年冬)

「マラッカ → ペナン → タイピン → イポー → クアラルンプール → シンガポール」と回ったマレーシア・シンガポール歴史ツアー。「植民地時代 → 日本占領時代 → 独立」と時代を経る中で多民族が同居・融合する多民族国家となった。移民先進国とも言える。

  ◇ からゆきさん(ペナン) 
  ◇ マングローブ植林と炭焼き 
  ◇ ヘリテージ・タウン・イポー 
  ◇ 戦跡巡り(シンガポール) 
  ◇ マラッカの古民家ホテル 
  ◇ レポート 

 今回の旅は日本のNPO パルシック が主催した現地発着のツアーに参加した。ペナンのホテル集合で、シンガポール空港解散。そのツアーに参加する前に一人でマラッカに寄ってから、みんなに合流したというわけだ。
 次に来るときはペナン・イポーで古民家に泊まって、マラッカ・ジョホールバルでスルタンの歴史を見学しようと思う。

戦跡めぐり(シンガポール)

(2018年冬)

 シンガポールでは旧日本軍とイギリス植民地軍との戦争ならびに日本による占領の歴史をきちんと保存・展示している。それぞれのポイントには第二次大戦終結50年を記念したボードがあって、それであることを示している。順番に巡るためのトレイルも設けてある。いずれも Heritage と銘打っている。すなわち戦争・占領の歴史もまたシンガポールの歴史遺産だという認識だろう。
 ビーチにはマレー半島からシンガポール島に上陸する際の戦いについての説明があった(写真右上)。イギリス軍の基地跡には梃子の原理を使って大砲の玉の重さを実感する設備があった(写真左上)。


 かつてのフォード自動車の工場は、イギリス軍が日本軍に降伏することを調印した場所で、今は戦争・占領博物館のようになっている。シンガポールで戦跡を巡るなら、ここが一番の見どころになるだろう。当時の日本側・イギリス側双方の新聞記事やテレビ映像をふんだんに用いていて、その意味で客観的に資料を並べている(写真左中)。
 ここは展示の仕方が上手だから、それを見に行くのも良い。日本軍の占領が始まってから物価がどんどん上がった様子を、卵の値段を例に挙げて、当時使われていた軍票(日本軍が発行した紙幣)で示していた(写真右中)。

マングローブ植林と炭焼き

(2018年冬)

 マレーシアでマングローブ植林体験。そしてマングローブ炭焼き工場見学。


 植林中に僕はマングローブの木によじ登る。危ないとみんなは言うが、木登りは普段から家でやっているのでお手のもの。他の人にカメラを手渡して写真を撮ってもらったが、こちらが期待した木の高さ感をうまく出してくれなかった。泥の中を歩きながらその人にきっと余裕がなかったんだろうな。泥の中を歩くのも、米作り農家生まれの僕は何度も経験済み。田植え経験と木登り経験がマングローブの林の中で大いに役立った。なんでも経験しておくのは良いことだと改めて思う。
 マングローブでの炭焼きは日本軍が占領していた時代に日本兵が教えたのだという。木を燃やして炭にするのではない。木を高温に熱するけれども、決して燃やさないのがミソだ。木の中の水分を飛ばし、有機物の分子中の水素原子Hを抜くのがあるべき炭焼き。そうすると炭の成分がほとんど炭素Cだけになる。だからそれを燃やしても水 H2O が出ない。こうして料理が美味しくなる。化学的にはそういうことだ。ガイドさんの説明と理科の知識が結びついた。
 この辺りは海岸線からだいぶ離れていると思うのだが、海面からの高さはほとんど無いようで、潮が満ちると海水が上がってくる。炭焼きにするマングローブは満ち潮時に水に浮かべて工場まで運ぶ。ワニだかトカゲだかが川を泳いでいた。フィリピンにもいた、たぶんワニくらいの大きさのトカゲだと思う。

2019年4月12日金曜日

ヘリテージ・タウン・イポー(マレーシア)

(2018年冬)

 イポー(マレーシア)は錫(すず)鉱山で栄えた街。今では錫の値段が下がって、街を離れた人も多い。そして昔ながらの街並みが残された。


 錫鉱山の労働者は中国からやってきた人たちが多かった。だからここは今でも中華系の人たちの割合が多い。写真右下はイポー駅。ここからKL(クアラルンプール)まで列車で向かう。所要3時間弱。

NHKのスペシャル番組をみよう

 夏休みにオススメの中学生・高校生向きの宿題です。
課題:NHKのスペシャル番組をみよう
  ドキュメンタリー/自然物/科学物/歴史物/海外物…
  またはそれに匹敵する民放の番組
  ただし、ニュース・スポーツ・音楽・ドラマ…は除く。
《レポートの書き方》
  1. 番組名・放送局・放送日時を明記する。
  2. 番組内容を「要約」する。
  3. 発見したこと・考えさせられたこと・疑問に思ったことなど」を2つ書く。
  4. 以上を含みながら、友達にその番組を「紹介する」文章を書く。
    ただし「面白いから見てください」みたいな口先だけの誘い文句は使用禁止
NHKではいろんな番組をやっています。中学生・高校生の興味関心を育てるのに、これを有効に使わない手はないでしょう。普段はアニメやバラエティ番組ばかりみていても、時にはドキュメンタリー番組もみてほしいですね。「NHKのスペシャル番組」と銘打っていますが、それに匹敵する民放の番組でもよしとしましょう。ただし、ニュース・スポーツ・音楽・ドラマなどは除きます。
 A3用紙に両面印刷して半分に折って、A4サイズ4ページ構成のプリントを配ります。

 NHK…をみよう

番組名
放送局
日時

氏名

- 1 -
 要約       







- 2 -
 発見(1)    



 発見(2)



- 3 -
 紹介文      







- 4 -

  • 1ページ目は「表紙」で「番組名・放送局・放送日時」と「氏名」を書きます。正確に記録を残す練習も兼ねています。
  • 2ページ目にテレビ番組の「要約」を書きますが、そこでの主役はテレビ番組です。あなたの意見や感想を書いてはいけません。
  • 3ページ目に番組をみて「発見したこと・考えさせられたこと・疑問に思ったことなど」を2つ書きます。ここにあなたの独自性が現れます。
  • そして最後の4ページ目に、友達に向けての「紹介文」を書きます。友達に「私もみたかった」と言わせるようなものが理想です。ただし「面白いから見てください」みたいな口先だけの誘い文句は使用禁止です。


 ところで、夏休みの宿題といえば、読書感想文が定番ですね。それとこの課題を比べてみると、さて違いはどこにあるでしょうか。
 まず違うのは情報源です。読書感想文では本、この課題ではテレビです。分野も違います。読書感想文といえば多くは文学、フィクションですね。それに対してこの課題ではノンフィクション、つまり現実を映したもの、要は文学以外のほとんどが対象です。
 書くべきものも違います。読書感想文では、その名のとおり「感想」を書きますが、この課題では感想を書く場所はどこにもありません。それでいて、テレビを見た人の「見方・視点・感じ方」がくっきり表れます。特に意識していなくても、自然とそういうものがにじみ出てきます。
 レイアウトも違います。読書感想文では何を書けという指示は一切なくて、与えられるのは原稿用紙のマス目だけ。この課題では書くべきことを最初から分けていて、どこに何を書くかを具体的に指示しています。
 だいぶ違いますね。むしろ正反対と言えるかもしれません。
 実は、読書感想文とこの課題の違いがもう一つあります。読書感想文は本を読まなくても書けること、実際本を読まずに読書感想文を書く人は昔も今もたくさんいるでしょう。一方この課題は、テレビ番組を興味を持ってしっかりみないと出来ませんね。
 たったいま「読書感想文は本を読まなくても書ける」と言いましたが、別の言い方をすると、実は「読書感想文は本を読んでも書けるとは限らない」のです。なぜかというと、まず「つまらなかった」場合、それだけ書いても原稿用紙は埋まりません。また「おもしろい」と思っても、「おもしろかった」だけではやっぱり原稿用紙は埋まりませんし、感想文を書くことがおもしろいとは限りませんね。結局のところ、本を読んで「感じる」こととそれを感想文に書くこととは全く別の作業なのです。むしろ読書感想文を書くためには、本を読まずに書く方が実は合理的だったりするのかもしれません。
 さて、どちらの課題がやりやすいですか。友達が書いた読書感想文とこの課題があったとしたら、どちらを読みたいと思いますか。
 私は課題を出した方の立場ですから、夏休みが明けると、それをたくさん読むことになります。これが結構楽しいのです。自分が見ていなかったテレビ番組の内容がわかって、1クラス分の課題を読むと、私自身も夏休みにたくさんのテレビ番組を見たような気になります。むしろ直接テレビを見るより効率的だと言えるくらいで、「意外とお得な役回りだなぁ」と思ったりしています。
 私だけではありません。課題を提出する間際に、生徒同士で書いたものをお互いに見せ合っていたりするのです。「あっ、その番組、僕も見た!」とか、「へぇー、おもしろそうだなぁ」とか、そんな声が聞こえてきます。読書感想文ではありそうにない光景でしょうけれど、この課題では最後に「紹介文」を書いているわけですから、生徒たちは他の人に「見てほしい」と思うようです。
 そしてまた、この課題を通してNHKなどの番組を見てみようという気になってくれれば、課題としては大成功です。これからの大学入試では「いろんなことに興味・関心を持つこと」がとても大事な要素ですから。

◎ マインドマップ

 「マインドマップ」は脳にフィットする発想法・思考法・表現法です。インプット(理解する)の場面でもアウトプット(アイデアをひねり出す・考えを整理する)の場面でも使えます。
 授業時間は全部で8時間。その流れを10個の記事に分けて紹介しています。

授業記事内容マップ作成
1マインドマップとは?最大の情報源は自分である
マインドマップを描いてみよう自分モード
グループモード
2物語を分析する既存の物語をマップ化する
3物語を創作するマップの形で物語を創作する
4マインドマップのツボマップ効果を確認
読書マップのサンプル読書マップの説明
読書マップを描いてみよう論文を読んでマップ化(下書き)
5〃   (清書)
6アイデアから企画へ発想法・表現法の説明
魔法の9マス紙アイデアをひねり出す多数
5W1Hで条件固め数枚
7パワポで1枚企画書企画書にまとめる(下書き)
8〃   (清書)

まだまだ進化中です。。。

2019年4月11日木曜日

言霊信仰

◇ 念仏を唱えれば、誰でも極楽に往生できる。  (親鸞上人)
◇ みんなで平和を祈れば、世界は平和になる。  (憲法9条)
◇ 一人ひとりの心がけで、地球は救われる。  (エコロジー)

2019年4月10日水曜日

マンダレーの動き方(ミャンマー)

(2013年春)

 マンダレーの街並みは碁盤の目状で、各通りが番号で表されていて、交差点にはその番号が書いてあるから、自分が今どこにいるのかとても分かりやすいし、人に伝えるときも伝わりやすい。
 たとえば、ボクが4連泊したホテル(Royal Power Hotel)の場所は「80th St.,Between 27th & 28th Sts.」だ(中国語の住所は「曼徳勒 緬甸 80条,27条和28条中間」となっていた。これならボクにも分かる)。(新しくて、Wifi につながって、お湯がじゃぶじゃぶ出て、1泊1部屋 45 ドル)
 他には、お気に入りの散髪屋兼マッサージ屋の場所は「33rd St.,Between 82nd & 83rd Sts.」で(ミャンマー人の手仕事は日本人のそれに負けないくらい細やかで手際がよくて丁寧です)、ドリアン・シェイクも食べられるカフェの場所は「Corner of 25th & 83rd Sts.」だ(この辺りはゲストハウスも多く、外国人安旅行者のちょっとしたたまり場のようになっている)。

 ところで、マンダレーの市街地はけっこう広い。さて、その移動をどうするか?
 なにしろ、堀に囲まれた旧王宮の1辺の長さは約3㎞あって、つまり1周するだけで12㎞にもなるのである。あちこち動き回るのにいちいちタクシーを使ってはお金もかかるし、機動性に欠ける。
 やっぱり一番いいのはレンタ・サイクルだ。1日500円以内で借りられる。ボクは丸3日間自転車を借りた(レンタル・バイクという手もある。こちらも1日1000~2000円くらいで借りられる)。
 自転車があれば、郊外の観光地にも出かけられる。たとえば、マンダレー郊外に定番の観光ポイントとしてアマラプラ ・インワ・サガインがある。タクシーをチャーターして3ヶ所まとめて回るのが一般的だが、ぐるっと回って全部で40㎞ほどの距離だから、自転車で回れない距離ではない。寄り道しながら自分のペースで動くのは、それはそれで楽しい。
 そして、疲れたら、ピックアップ・トラックに自転車ごと乗ってしまえばいいのである。ピックアップ・トラックとは、要するに現地の人が乗るバスである。トラックの荷台が客席である。現地の人も大きな荷物を持って乗り込んでくるから、自転車1台くらいは通常の手荷物として運んでもらえる。実際ボクはそれをやった。マンダレーからアマラプラ・サガインと回って、サガインからピックアップ・トラックでマンダレーに戻ってきた。
 エーヤワディー川の反対側に渡るには、自転車ごと渡し船に乗ればいいだろう。ボクはやってないが、そうすれば別の観光ポイントであるミングォンへも行けそうだ。道すがらきっといろいろおもしろいものが見れるだろう。マンダレー観光の足は自転車に限る。

ミャンマーの手仕事

(2013年春)


金箔:男が叩いて(左上)、女が貼る(右上)。
仏像:男が削って(左中)、女が磨く(右中)。
 他  :(古タイヤを加工して作った容器を)男が運び(左下)、(布にデザインを)女が描く(右下)。
マンダレーにて

僧院って全寮制の男子校みたいなものだな(ミャンマー)

(2013年春)

 マンダレー郊外アマラプラのウー・ベイン橋のたもとにある僧院(マハーガンダーヨン僧院)を覗いてみた。午前10時頃、ちょうど食事前だったようで、食事の様子を一通り見学した。見たところ日本でいうと小学生から高校生くらいまでの男の子ばっかりで、要するに給食の時間だ。
 給食当番の生徒が大きな鍋を運んでくる。お手伝いする一般人らしい女性はPTAみたいなものなのかもしれない。生徒たちはきちんと整列して待って、合図とともに順番に席に着く。食事中は静かにもくもくと食べる。確かに、これだけ大勢の子供たちがわいわいがやがや喋ったらうるさくて仕方ないだろうから、「黙って食え」というルールなのはわからんでもない。


 大人の坊さんと話をした。要するに先生みたいな存在で、つまりはボクも同業者みたいなもんだ。「1375人の子供たちがここで勉強している」という。その数はウチの学校(中高一貫の男子校)の生徒数よりちょっと少ないが、ざっくり言えば似たようなものだ。ただ、僧院の敷地はウチの学校よりずっと広い。ウチの学校の生徒たちは昼間だけ学校にいるわけだが、この僧院の子供たちはここで寝泊まりしているのだから当然だろう。
 坊さんの話によると、彼らはここで「あらゆることを学ぶ」という。仏教のことはもちろん、国語(ミャンマー語)に算数に、理科も社会も。みんなで一緒に生活することで規律や道徳も学ぶはずだ。部活や情報科の授業は無いかもしれないが、まぁ日本の学校と同じようなものだと言えるだろう。
 給食の様子を見ていたら、お腹がすいてきた。

ウー・ベイン橋(ミャンマー)

(2012年冬)


 マンダレー郊外アマラプラという街にあるウー・ベイン橋。乾季の中頃で、水位が低くなっている。

★ 中国旅行の特殊事情

☆ 中国旅行の特殊事情
(→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_29.html )

  ◇ 中国政府が築く現代の万里の長城
  ◇ 西塘古鎮のIT事情
  ◇ 嘉峪関という新しい街         など


☆ シルクロード新幹線
(→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_66.html )

  ◇ 丹霞地質公園
  ◇ 馬蹄寺石窟
  ◇ 嘉峪関


☆ 水郷古鎮めぐり弾丸ツアー
(→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_644.html )

  ◇ 南潯古鎮
  ◇ 西塘古鎮
  ◇ 朱家角古鎮


☆ 昆明からハノイへ山越えの旅
(→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_242.html )

  ◇ 石林
  ◇ 建水古城小火車
  ◇ 古城の井戸              など

☆ 中国旅行の特殊事情

 中国では古いものが残る一方で、新しいものがどんどん生まれている。そんな中国を旅すると、日本での生活するのとは何かと違う面にしばしば出くわします。

  ◇ 中国政府が築く現代の万里の長城 
  ◇ 西塘古鎮のIT事情 
  ◇ 嘉峪関という新しい街 
  ◇ 一村リゾートの仕組み 
  ◇ 中国の両替事情 
  ◇ リニア・モーターカーに乗る 
  ◇ 中国のスローガン、2種 

 それを経験することもまた、中国旅行の楽しみであり、僕にとっては旅の目的でもあります。

2019年4月9日火曜日

☆ 昆明からハノイへ山越えの旅

◇ 昆明の古民家ホテル
├→ 石林
└→ 龍門石窟寺院

◇ 建水の古民家ホテル
├→ 建水古城小火車
└→ 古城の井戸

◇ 中越国境越え
├→ 中国のスタバに月餅がある件
└→ ベトナムの乗り物あるある

◇ 棚田と市場
├→ バックハーの日曜市
└→ 棚田が耕作放棄地になってしまう未来


《中国とベトナム、それぞれの旅行事情》
中国ベトナム
ネットホテルでのフリーwifi ほぼ100%(両国とも wifi 環境は日本よりも良い)
外国のサイトにはアクセス制限多い日本にいるのと同じように使える
列車最もメジャーな駅弁はカップラーメン。列車の中で熱湯が出る。老若男女、皆すする。
高速鉄道は日本の新幹線とほぼ同じ遅くてよく揺れる
英語通じない(スマホの翻訳機能で対応)通じる(こちらの英語力の貧弱さが露呈する)
旅行者中国人が90%以上外国人が90%以上
観光行政主導(大勢の人を合理的にさばく)民間が自由勝手に(自然発生的)
移動管理(郊外へ行く列車・バスでも
ID&荷物チェック)
(入出国以外は)
どこへ行くのも自由。ノー・チェック
※ 要するに、ベトナムは普通の国で、中国は変わった国だってこと。

中国のスタバに月餅がある件

(2018年夏)

 中国の深圳と昆明のスタバでは月餅(Moon Cake)を売っていた。


 日本のスタバで饅頭(まんじゅう)とか団子(だんご)とか煎餅(せんべい)とかを売ってるという話を聞いたことはない。

ベトナムあるある(乗り物編)

(2018年夏)

◇ モーター・バイクの借り方
 バイク大国ベトナムでは、観光地に行けばレンタル・バイク屋があって、1日$5〜$6くらいで借りられる。外国人も多く借りているが、ルール上は免許が要る。ヘルメットも要る。けれども実態は無免許・ノーヘルで借りている人も多い。そしてたまに捕まる人がいて、そうなると罰金を払う羽目になるらしい。
 街中のガソリン屋ではペットボトル容器でバイクにガソリンを入れる。ドリンク用のペットボトルだからデザイン・色はまちまちだが、容量については間違いなさそう。

◇ 観光ボートの乗り方
 観光地でボートに乗る場合、客はライフ・ジャケットの着用を義務付けられている。水に浮く、基本オレンジ色のアレだ。けれども、これも実態としてはそれをつけずに乗っている人が多い。そもそもボートにライフ・ジャケットが用意されていないので、個人で行けば、何も着けずにそのまま乗ってしまうことになる。
 それでも律儀にルールを守ってライフ・ジャケットを着用している人もいる。旅行会社を通じてツアーの形で参加している人たちだ。ライフ・ジャケットは旅行会社が用意しているようで、団体バスから各自持って降りてくる。バイクであれボートであれ、この緩さがベトナムの良いところ。

◇ ショベル・カーの進み方
 ある街で大きなショベルカーが移動中、両輪(キャタピラー)の前後で4人の男たちが黙々と同じ動作を繰り返していた。進行方向前にいる2人はキャタピラーに乗って移動してくる古タイヤを地面に置く係、キャタピラーはその古タイヤの上を移動する。後にいる2人はキャタピラーが移動して自由になった古タイヤをキャタピラーの上に乗せる係、古タイヤはキャタピラーに乗って前方に移動する。ショベルカーが舗装道路の上を移動する間中、キャタピラーが常に古タイヤの上に乗るように、こうして4人がショベルカーの前後に張り付いているというわけだ。
 舗装道路を守るためだろう。なるほど、こんな配慮と工夫が本当は必要なんだろうな、と思った。作業としては、前の人の方が楽、後の人が大変。きっと交代しながらやってるんじゃないかな。


◇ 鉄道旅のお楽しみ
 お隣中国の高速鉄道は、日本の新幹線の乗り心地・スピード感とほとんど同じ(速さの数値は日本の方が上だが)。それに比べてベトナムの鉄道は、遅い上によく揺れる。
 ベトナムと中国の鉄道に共通点もある。駅弁の主流がインスタントのカップ麺であることだ。ベトナムでも中国でも車内で熱いお湯が出る。お茶を煎れるのにも使うが、カップ麺のお湯を入れるのにも使う。こうして老若男女、皆すする。そうなると同じアジア人として、僕もすすらずにはいられない。

バックハーの日曜市(ベトナム)

(2018年夏)

 バックハーの日曜市ではなんでも売っている。食材・衣料・おもちゃ、農業用の苗・種・機具、生きた牛・馬・水牛・豚・鶏・アヒル・小鳥・犬、最近増えてきた外国人観光客に向けての土産物など。


 女性たちは民族ごとに異なるデザイン・色の衣装を着ている。とは言え、今風のシャツ・ズボン・スカート姿の女性も多い。そりゃそうだ。少数民族といえども、今ではスマート・フォンを持ち、モーター・バイクで移動する時代だから、着る物が変わるのは当然だろう。
 バックハーはこの辺りでは大きな町だから市も大きいのだが、さらに山の奥に入っていけば、また 違った市 が見られるだろう。

龍門石窟寺院(中国・雲南省)

(2018年夏)

 中国・雲南省の省都、昆明の街外れ、滇池(という湖)に面してほとんど直立した崖の山(西山という)の山中に龍門石窟はある。回り方としては、上りはリフトを使って一気に頂上付近まで行って、下りを歩きながら見学するのが良いだろう。


 それはそうと、中国の観光地はどこに行っても中国人観光客でいっぱい。世界の観光地で中国人旅行客が多いことが話題になっているが、当然のことながら、中国人は中国国内だって旅行するのである。夏の暑い時期、標高が高くて涼しいところに殺到するのは当然と言えるだろう。
 ここ昆明も例外ではない。昆明の街で標高1900m、ここ龍門石窟は標高2000mを超えているはずで、だから一昨日行った石林もそうだが、入場券を買うのも、乗り物(龍門ではリフト、石林では電動カート)に乗るのも、見所を見学するのもいちいち並んで待たなくてはならないわけだ。
 中国3大石窟寺院が何を指すのか分からない(いま中国にいて、Google 検索が出来ないため)が、僕が好きなのは 馬蹄寺石窟。そんなに混んでいなかったし。

石林(中国・雲南省)

(2018年夏)

 石林は石の密林だ。石の間を歩いていると、どこを歩いているんだか、さっぱり分からなくなる。


 地図はあってもあまり役に立たない。とにかく歩いて、目的地になかなかたどり着かず、同じところに何度も出てしまい、そういうことを繰り返すうちに少しずつ分かってくる。

中越国境越え

(2018年夏)

 中国から陸路国境を越えてベトナムに抜けて、今日から Google と Facebook 解禁です。
 中国の河口とベトナムのラオカイは川をはさんでいる。河口側で出国手続きして、歩いて橋を渡って、ラオカイ側で入国手続き。車は橋を渡れないが、バイクと荷車は渡れるようだ。


 中国からベトナムに入って変わったことと言えば、真新しい街並みがやや古くなったこと、バイクの数が急に増えたことなどいろいろあるが、一番大きく変わったのは漢字が一切無くなったこと。それだけで、いわば別世界だ。
 中国の漢字は、意味はある程度わかる(見当がつく)が、音がわからない。ベトナム語はアルファベットを使うので、音は大体わかるが、意味はさっぱりわからない。

古城の井戸(中国・雲南省)

(2018年夏)

 建水の旧市街・臨安古城あたりの井戸4つ。大きいもの・小さいもの、今は使われていないもの・今も使っているもの、丸いもの・2つ眼のもの(四角いものや3つ眼・4つ眼のものもあるらしい)など、いろんな井戸がある。


 右上の井戸の脇の石標には「龍王」の文字がある。井戸に龍が住んでいるのは中国でも日本でも同じらしい。右下の井戸の水は澄んでいて、中で鯉が泳いでいた。

建水古城小火車(中国・雲南省)

(2018年夏)

 中国・雲南省・建水の臨安古城と団山古民居をつなぐ列車。建水古城小火車という。廃線になった路線の一部を観光用に復活したものである。途中の古い駅舎や橋で30分ほど2回停まり、折り返し地点では団山古民居を見て回るために2時間ほど停車して、往復含めて5時間ほどの半日観光用の列車だ。
 十数キロの道のりを時速20kmほどでガタンゴトン進む。うちの学校の鉄道研究部の生徒たちが乗ったら、泣いて喜ぶに違いない。


 夏の雲南省はよく雨が降る。それでも観光客はいっぱい。ほとんどすべて中国人だ。
 駅のホームでタバコを吸って列車に乗り込んだら、中国人に褒められた。ほとんどの中国人は英語を(もちろん日本語も)話さないのだが、その代わり今時はスマホの翻訳機能を使ってコミュニケーションする。ある中国人がスマホに入力した中国語を日本語に翻訳して僕に見せた。そこに書いてあった文字は、
あなたのタバコの詳細に震撼した。
 一見して意味がわからない。けれども、相手は僕のことを褒めてくれたようだ。僕が何をしたかというと、タバコの吸い殻を携帯用灰皿に入れただけ。つまりポイ捨てしなかったこと(これがたぶん「詳細」)に感心した(これがたぶん「震撼」)ということらしい。
 そんなことで褒められても困るのだが、そんなやり取りをしたり景色を眺めたりしながらの小火車の旅だった。

天皇が神だった頃

 ニッポンの「八百万の神」と、一神教の「全知全能の神」は全く別物です。日本人は「1粒のコメの中に3人の神様」を見ます。菅原道真(=人)も、キツネ(=動物)も神です。時には石だって木だって神と呼ばれます。亡くなった人はみんな神になります。
 さらには、「たたり神」というものもあります。「旅館のおかみ」も「ウチのカミさん」も神です。 日本人にとって、「ありがたいもの、畏れ多いもの、自分より上の立場のもの」は、全部「神」なのです。「天皇=神」という発想は、その流れの中で出てきたごく自然な発想です。
 数ある神の中で、天皇は特別の存在でした。日本の歴史をみれば、それがわかります。天下を治めることは、天皇の代わりを引き受けることであって、天皇の存在を否定することではなかった。幕府は「天皇から政治を任じられた」という形をとり、最後にはそれを「天皇に返還」しました。いずれの政治体制もその立場を貫いてきました。こんな国は、日本の他にはありません。
 天皇がどういう意味で特別だったかと言うと、それが「国の象徴」だったということです。天皇の存在が国家と国民の意識を育て、人々の間に「国のため」に頑張ろうという意識が芽生えました。その心意気を、人々は「天皇のため」と表現しました。これは「世のため、人のため」と同義です。
 ところが、戦後に日本を占領統治したGHQには、日本人のその感覚が理解できなかった。まぁ無理もないことですが。GHQの目は、日本人が「天皇=全知全能の神」と信じているように映った。そして、「こりゃヤバイ。変えてやらにゃぁ」と考えた。そして日本人の意識解体が図られた。そうこうするうちに、日本人の多くもGHQと同じ感覚になっていった。・・・そして今に至ります。
 日本人は無神論者になりました。今時の日本人の感覚では、宗教は洗脳であり、テロであり、危険なものです。日本人は愛国心を失いました。今時の日本人の多くは、愛国心という言葉から戦争だけをイメージします。
 ボクは問いたい。「天皇=神」は危険思想ですか? それは日本古来のものなのではありませんか?
 「天皇のため」は洗脳ですか? 「愛国心」は悪ですか? 戦前と戦後、洗脳されているのはどっちでしょうか?

ご利益 と 利益

 「ご利益」は「ごりやく」と読むが、丁寧語の「ご」を外すと「利益」となって、読み方も「りえき」と変わる。そして、意味も大きく変わる。
 ご利益は神様に対して使われて、利益は経済活動の中で使われる。
 利益とは、お金が増えることを指す。そこで問題になるのは量だけだ。質は問題にならない。すなわち、利益というとき、その文脈はひたすらお金の話であり、しかも量の視点しかないのである。
 一方、ご利益というのはお金の話に限らないし、量よりも質が問題になる。たとえば縁結びというご利益があるが、たくさんの人と付き合いたいというわけではなくて、良い縁に巡り合いたいということである。やっぱり量を問題にしているのではなくて、質を問題にしている。もちろんお金の話は直接には関係ない。
 ところで、そもそもニッポンの神はご利益をもたらすようなものではない。というのは、もともとニッポンの神は祟り(たたり)や呪い(のろい)や障り(さわり)なのであって、ご利益どころか、むしろ(わざわい)をもたらすものなのである。だからそれを鎮めるために、奉る(立て祀る)のだ。つまり、神がをもたらさないように、それを封じる仕掛けが神社である。その意味では、神社の役割は除け(やくよけ)であると言ってよい。
 そう言うと除けというご利益があるように聞こえるかもしれないが、それも違う。というのは、神社の役割としての厄除けは、そこで祀られている神がをもたらすから、そうならないようにその神を祀るという意味であって、その神とは無関係のを外から持ち込んでも何の効果も無いのである。年だからを除こうとして除けを祈願しても、そんなことは神の知ったこっちゃぁないのである。神は人間に頼まれてしばらく悪さするのを控えてやっているだけなんだから、自ら進んで他の神のもたらすを取り除いてやる義理も道理も無いのである。
 では、をもたらす神になぜご利益があることになるのかというと、そこには日本人特有の逆転の発想がある。祟りの井戸を福井といい、呪われた島を福島といい、厄の岡を福岡という、こういう能天気さは日本人に普遍である。考えてもみてほしいのだが、福の井戸、ハッピーな島、ラッキーな岡などというものが、最初からあるわけない。もともとは祟りの井戸、呪いの島、厄の岡だったに違いなのである。
 そんな例を出すまでもなく、祟りや呪いや障りを神とあがめてしまうのが日本人なんだから、(やく)をご利益(ごりやく)にしてしまうことなどいとも簡単なのである。現実には、こじつけの「ご利益」を謳って、神社が「利益」(りえき)を上げているのだろう。「災い転じて福としちゃう」の心で、マイナス面をプラスに語り、ありもしないご利益をさもあるかのように有難がる。呪い(のろい)を祝い(いわい)、祟り(たたり)を崇めて(あがめて)、(わざわい)を笑う(わらう)、それが日本人の心である。だから、それでいいのである。

泥棒はウソつきのはじまり

「ウソつきが泥棒のはじまり」だとしたら、世の中泥棒だらけになってしまう。でも実際はそうじゃない。イソップ童話に出てくる「おおかみがきた!」と叫ぶ羊飼いの少年だって、泥棒になった形跡はない。
 ところで、泥棒したら、ウソをつかざるを得なくなる。事実を隠すためにウソをつき、ウソがばれないようにまたウソをつく。よって「ウソつきは泥棒のはじまり」は間違いであり、「泥棒はウソつきのはじまり」が正しい

2019年4月8日月曜日

☆ 漢字のたしなみ

 漢字の「安」を書き崩して、ひらがなの「あ」になった。「あ」には意味がないが、「安」には意味がある。「わ」には意味がないが、「和」には意味がある。そう、漢字には物語がある。

  ◇ 漢字は自由だ               (台湾)
  ◇ 漢字は筆ペンで書いて覚えよ     (黄龍・中国)
  ◇ 皿の上にチョン「 ’」        (東ティモール)
  ◇ 古文・漢文は関西弁風に訳せ (ホイアン・ベトナム)
  ◇ 夢渉水               (杭州・中国)
  ◇ 中国語の繁体字と簡体字 
  ◇ 親・偽・愛 
  ◇  
  ◇ 「論う」という漢字、読めますか? 
  ◇ 円文化圏 

 もちろんアルファベットの1文字1文字にも意味はない。今どき実際に使われている文字の中で、意味すなわち物語があるのは、漢字だけなのではないだろうか。
 そしてそう考えると、私たち東アジア人すなわち漢字文化圏の民族が論理的思考よりもイメージ先行型の発想をするのは、いかにもありそうな話だと思うのである。そしてそれが私たちの強みなのではなかろうか。

ミャンマーでこしひかりプロジェクト

(2012年冬)

 ミャンマーのエーヤワディー川のデルタ地帯では、広大な土地でコメを作っている。牛を引いて田を耕し、人の手で苗を植え、人の手で刈り取って、稲を積んだ荷車を牛が引いて運んでいる。今でもそんな光景が広がっている。
 2012年の冬、僕は両親と一緒にミャンマーを旅行した。父が言った。「自分が子供の頃のやり方と同じだ」。父はもうすぐ80歳。父が子供の頃というのは、今からざっと70年前ということだ。両親は福井に住んでいて、コメを作っている。僕も高校まではそこで育った。ちなみに、僕はいま50歳だが、僕が子供の頃はもっと進んでいた。牛や馬はいなかったし、機械化も始まっていた。
 母が言った。「あの頃は大変だった」。そんな会話をしながら、僕は両親に提案した。「福井でコメ作っていても先が見えてるだろ。いっそのこと、ここ(ミャンマー)でコメ作ったらどうだ? この見える一帯でドォーンとこしひかり作って、日本で売ったらどうだ? その方がおもしろいんじゃないか。儲かるんじゃないか」と。

 ここで、僕の実家の話をしよう。僕の実家は日本の典型的な農家だ。それを知れば、日本の農業の実態が分かる。
 実家では昔からコメを作って売っているが、そんなに広い田んぼがあるわけじゃない。コメ作りだけでは大した金にならない。僕の父はサラリーマンをしていた。要するに兼業農家ということだが、この点でも典型的な日本の農家だ。
 父は平日は会社に行き、休みの日に田んぼ仕事をしていたから、僕も時々は手伝わされた。田植えの時期はちょうどゴールデン・ウィークの頃で、僕にとってはブラック・ウィークだった。水を張った柔らかい田んぼにズボズボ入っていくのだが、その時期はまだ水が冷たい。稲刈りの時期は夏休みの終わり頃で、夏休みの宿題の追い込みをかけなきゃいけないタイミングと重なる。いや、そんなことより、稲刈りの時期はまだ暑くて、乾いた稲の埃が汗で体に張り付いて、かゆいのだ。そんなこんなで正直やりたくなかったが、父だって休みの日に田んぼするわけだから、僕も多少は手伝わないわけにはいかなかった。
 兼業農家なんてどこもこんなもんだ。家計収入のメインは会社勤めの給料で、土日にそんなに広くもない田んぼをやるが、それで得られる収入はたかが知れている。うちに限った話じゃない。これが日本の農家の典型的な姿だ。
 父は今ではサラリーマンを引退して、年金生活を送っている。農業は続けているが、今のメインの収入は年金で、でも田んぼがあるからコメ作りを続けている。そんな父もそろそろ80歳になる。元気だからやっているわけだが、高齢化しているという点も日本の農業の典型的な形だ。後継者はというと、いない。後継者の候補は僕だったわけだが、僕は田舎を離れて住んでいるので農業はやっていない。そして、後継者がいないという点でも、僕の実家は典型的な日本の農家だ。

 話を元に戻そう。両親と一緒にミャンマーのコメ作りの光景を見ながら、僕は父に「福井でコメ作るより、ここ(ミャンマー)でやれ」と提案したのである。
 エーヤワディー・デルタのだだっ広い田んぼに、日本から農業機械を持ち込んで、父をリーダーにして、ミャンマーの人たちと一緒にこしひかりを作ったらどうだろう。
 試算してみよう。ミャンマーの農家の人たちに支払う給料を月5000円とする。きっと喜んでやるだろう。父が口を挟んだ。「でも、言葉がどうしようもない」と。父は英語がからっきしダメで、ましてやミャンマー語がしゃべれるはずもない。でも、大丈夫。日本語通訳を雇えばいい。ミャンマーでは日本語を勉強している人が実は多くて、月給1万円でいくらでも見つかるだろう。
 そして、作ったこしひかりは全部日本に輸出する。たぶん、日本で作るよりずっと安く、日本のコメの5分の1か10分の1の値段で売っても儲けが出るだろう。

 ところで先日、新聞にあるアンケートが載っていた。どんなアンケートとかというと、「日本のおいしくて安全なコメがいいか、安いけど不味い外国のコメがいいか、あなたはどっちのコメを買いますか?」という質問で、アンケート結果は「日本のコメを買う」が80何パーセントで、「外国のコメを買う」が10パーセント以下だった、というもの。でもこのアンケート、全然フェアじゃない。確かに現状では外国のコメは不味いかもしれないけど、先ほどのプランではそんな二択にはならない。
 何やかや言っても、父はコメ作り70年の超ベテラン。そんな父が作ったこしひかりが不味いわけがない! しかも安全だ。少なくとも放射能の心配はゼロ。だから、アンケートするなら、次のような質問をするべきだ。「値段が高い日本のコメと、それと同じくらい安全でおいしくて値段がずっと安い外国産のこしひかり、あなたはどちらを買いますか?」と。そうすればみんな、「外国産がいい」と言うに違いない。

 このプラン、とてもいいと僕は思っているのだが、でも今のルールでは実現できない。食糧管理制度など様々な規制があり、輸入米にバカ高い関税がかかるから。でも、TPPみたいなものが発効すれば、可能になる。
 さて、ここからTPPの話。「TPPをやると、日本の農業が壊滅する」とか、「農家を守れ」とか、そういう声がある。テレビでもそんな論調で語られる。
 でも、僕は思うのだ。僕の実家みたいな農家を今のまま守っても、何も良いことが無い。それが典型的な日本の農家であることは先ほど話した通りだが、今のままではどっちにしても日本の農業はダメになる。ますます高齢化が進んで、後継者もいなくて、耕作放棄地が増えるだけだ。
 でも、TPPみたいなものが始まれば、新しい道が開ける。先ほど提案したようなプロジェクトもできるようになる。その場合、統計上は「輸入」になるのだろう。そうなると、「日本の食糧自給率が下がるからダメだ」なんてことを言い出す人が必ず出てくるのだが、でも、それが問題だろうか? 確かに作っている場所は外国だけれども、日本人が日本の機械を使ってこしひかりを作るのだから、何も問題無いと僕は思うのだが。
 父もやりがいがあって、そして儲かって、ミャンマーの人も今より多くの収入を得て、日本の消費者も旨いこしひかりが安く食べられれば、みんなハッピーじゃないか。福井にある田んぼは、近所の農家の人に任せればいい。そうすれば、その人だって今よりも広い田んぼでコメを作ることができて、悪い話じゃないはず。僕だって、ミャンマーに遊びに行ったときに拠点ができればうれしいさ。
 ミャンマーのエーヤワディー・デルタのだだっ広い田んぼで、牛を引いて田を耕している光景を見ながら、そんな話を親とした。

夢渉水(杭州)

 中国・杭州の Aman Fayun に飾ってあった書の数々。上から2段目は Spa の看板で「夢渉水」と書いてあるらしい。(看板は右から読むので、向きを合わせて書くと左から順に「水渉夢」となる)


 象形文字のような字も楽しい。下段右はトイレの前に掲げてあったもの。漢字文化圏以外の人に伝わるだろうか。