2019年4月15日月曜日

ちっちゃいものが大好きな人たち

 昔の日本の道は細かった。東海道といえども、山に入ればケモノ道で、里に下りればあぜ道だった。山がちで雨の多い土地だから、集落の辺りだけ木を切り土を踏み固めたが、他は茂みとぬかるみばかりだった。だから隣村に出かけるには、馬車も荷車もほとんど役に立たなかった。人は荷物を手に持ってテクテク歩いた。大名行列が「下にぃー、下にぃー」と進んだのは街中だけで、ほとんどの行程を殿様も姫様もせっせと歩いた。
 日本には、馬に乗って駆け回るような草原はなかったし、荷車を引けるような乾いた平地もなかった。あるのは茂みとぬかるみばかり。平らなところはぬかるんでいて、それ以外のところは生い茂っていた。そこに人ひとりが通れる道を通すのが精いっぱいだった。つい最近まで、日本はこうだったのだ。もちろん、人をして石畳を敷き詰めさせるようなバカも、他人に物を持たせて手ブラで歩く不届き者もいなかった。
 出掛けるからには何がしかの物は持っていくことになる。でも手で持つしかないので、なるべく小さくしたい。そうして日本人は、物をちっちゃくすることにこだわるようになった。ちっちゃいものが大好きになった。風呂敷1枚あれば、大きなものでも小さなものでも包めるし、たためば小さくなってポッケに入る。竹で編んだカゴがあれば、魚でも薪でも赤ん坊でも何でも背負えるし、空になれば実に軽い。
 そのDNAが、ボクら日本人の中に生きている。乾いた現代日本に住むボクらの中にも、厳として生きている。1つは、物作り大国ニッポンの労働者・技術者として。もう1つは、モッタイナイという価値観として。ボクたちのDNAによれば、大きなものは無駄なのだ。たくさん持つのはバカなのだ。モッタイナイの心は、物を動かすことで満たされるのではなく、極力動かさないことで満たされる。

・・・聞きかじった話を寄せ集めて、適当に空想を交えて書いてみました。。。

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