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2020年1月18日土曜日

ゴーンさんは難民か?

 レバノンの隣国シリアで内戦が続いていて、レバノンにもシリア人の難民がたくさん押し寄せている。それに対するレバノン人の受け止め方は、基本的にはシリア難民の人たちを支えようとしている。家を離れ、土地を離れて、命からがら逃げてきた人たちを、シリアが安定するまでの間、レバノンで生活する彼らを助けてあげようという気持ちを多くのレバノン人は持っている。レバノン人もシリア人も同じアラビア語を話し、生活習慣も同じようなものだから、同胞意識もあるだろう。
 ところで、レバノンの人たちは、そこであることを思い出すのである。そういえば、前にも似たようなことがあったなぁ、と。今から70年ほど前のことである。南側から大勢の難民がレバノンにやって来た。パレスチナ難民である。あの時もレバノンの人たちは、逃れてきた人たちを支えた。混乱が収まれば元の家に戻れるだろうと、逃れてきた人たちも、レバノンの人たちも思っていた。けれども気がつけば、あれから70年、彼らは今もレバノンにいる。
 70年も経つと世代が変わる。子供が生まれ、孫が生まれる。最初はテント村だった難民キャンプだが、いつまでもテント生活を続けられるわけではない。やがて屋根ができ、壁ができて、人口が増えれば2階建て・3階建てになり、今では難民キャンプは人口密集地帯となった。
 シリアからの難民を受け入れるレバノンの人たちは、そのことを思わずにはいられないわけである。「しばらくの間、シリアが落ち着くまでの間、シリアの人たちを支えてあげよう」と思う一方で、「もしかしたら彼らはこれから先もずっとレバノンに居続けるのだろうか」と、そんな考えが頭をよぎるわけである。
 そんな話を、レバノンでシリア難民を支援する日本のNPOのスタッフから聞いた。

 さて、ゴーンさんは難民なのだろうか。レバノンで難民申請するのだろうか。

難民:(Wikipediaより)
 難民は、対外戦争、民族紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由によって居住区域(自国)を離れた、あるいは強制的に追われた人々を指す。

2019年11月4日月曜日

アンデス

(2000年冬)

クスコの見所はひたすら石。
マチュピチュを訪れるときは、遺跡の横の一軒宿に泊まろう。
クスコからの日帰り客がいない時間帯がいい。
ペルーとボリビアにまたがるチチカカ湖。
ボリビア側、太陽の島にて。

2019年11月3日日曜日

イエメン

(1990年夏)

 アラビア半島とアフリカ大陸の間にある紅海は、もともと高原だったところが落ち込んでできたもの。アフリカ側はエチオピア高原、アラビア側はイエメン。だからイエメンは高原の国。緑も多く、ちょっと日本と似たような光景です。

岩の上に立つ家

サナー旧市街。
人一人がやっと通れる道がつながっています。












タイズの子供たち。道でお菓子など売っていました。

 大人の男性は腰に剣を刺し、大人の女性は黒い布を被る。
 この子たち、今は40歳前後になっているはずなのだが、内戦のさなか、どうしているんだろう。

2019年11月2日土曜日

アラブのタクシー

 花粉症の季節がやってきました。この季節は特に、車の中にティッシュボックスが必需品ですね。ところが車にはティッシュボックスの置き場所がない。なぜか想定されていない。足元なり後の方なりに、適当にみんな置いているんでしょうね。
 さて、アラブのタクシーでは車の天井に逆さまの状態でティッシュボックスがくっついています。天井に金具がついていて、そこにティッシュボックスがカパッとはまるようになってるんです。それが天井のど真ん中についていて、下から引っ張れば1枚ずつ取れる。ドライバーでも客でも、必要なときに勝手に天井に手を伸ばして使っていいんです。ウーン、なかなか合理的。ウチでもやろうかな、ってちょっと思いました。
 アラブでは日本車よりヨーロッパ車が多かった。タクシーはもちろん中古車。古ーいベンツとかが多く、走るには走るが、4つのドアが全部ちゃんと開くなんて珍しい。今から30年ほど前、ちょうど湾岸戦争のころの話です。(最近の様子は知りません)

2019年11月1日金曜日

中米グアテマラの地理講座

(1991年冬)

◇ 南北アメリカ大陸の人種構成
 アメリカ大陸には、もともと先住民がいて、ヨーロッパ人がやってきて、アフリカ人を奴隷として連れてきて・・・混じりあった。そんな歴史がある。
 しかし、アメリカ大陸全体にわたって、人種構成が均一かというともちろんそうではない。その構成の割合を非常に大雑把に示すと、次のようになる。
グアテマラのチチカステナンゴ
  • 大陸の北(アメリカ・カナダ)と南(チリ・アルゼンチン)は白人が主流。
  • カリブ海諸国は黒人が主流。キューバのオリンピック選手はたいてい黒人。
  • 先住民が主流である地域は、山岳地帯。白人の手が及ばなかったということだろう。
  • その他の地域、つまり北はメキシコから南はペルー・ブラジル辺りまでは、混血が主流。ブラジルのサッカー選手はたいてい混血。
手元に正確なデータがないので断言できないのが残念だが、大筋そんなところ。
 さて、先住民が主流を占める国がアメリカ大陸に2つある。

  • 1つは南米ボリビア。
  • もう1つは中米グアテマラ。


寒くて、暖炉にあたると幸せ気分だった
◇ 中米山脈
 中米は地図で見ると細長いから、低地をイメージするかもしれないが、実際は違う。北米の西側にロッキー山脈、南米の西側にアンデス山脈があるが、それらをつないでいるのが中米である。つまり、中米は山脈地帯である。
 グアテマラの首都グアテマラシティーは盆地にできた町だが、その標高は1500m。グアテマラの他の町も1500m~2000mの高さにあるものが多い。バスで移動すると、道は山岳地帯を縫うように走り、しばしば富士山のような円すい形の火山を見ることができる。


◇ 旅行の穴場=グアテマラ
 中米は山岳が多く、そのあたりに先住民が多く住んでいる。典型がグアテマラ。グアテマラは先住民が主流を占める国であり、しかも気候おだやか・景観グッド。
 写真は、たまたま遭遇した、グアテマラの祭り。鳥をデザインしたものと見える。

2019年5月19日日曜日

☆ ラダック写真集

(2007年夏)

ラダックはインド北部、ヒマラヤのさらに北の地域です。インド領ではありますが、地理的・文化的にはチベットの一部です。中国領チベットより、チベットらしさが残っています。
◇ 上ラダック 
◇ 下ラダック 
◇ 峠越え 
◇ ヌブラ谷 
◇ パンゴン・ツォ湖 
◇ レー 
◇ アグラ 
ラダックが、他のチベット文化圏と比べて優れているとボクが思ったのは、
  • 見所が比較的密に集まっている。
     ジープをチャーターすれば、レーから日帰りもしくは1泊2日程度で、かなり充実した観光が出来る。他の地域は見所がもっとまばらで、移動の時間がもっとずっと多いような印象だった。
     
  • 道路が整備されている。
     中国 ・ パキスタンに近いが、両国との国境が確定していない。すなわちここは、軍事上の最前線。そのため、軍用道路として整備されているのだろう。辺境にしてはなかなかの充実ぶり。
ラダックが、インドの他の地域と比べて優れているのは、
  • 涼しくて、快適。
     標高3000m以上の地域なので当然だが、昼は暑すぎず、夜も寒くなくてとっても快適。インド平原は(日本の夏と同じくらい?)蒸し暑く、エアコンが普及していないので、けっこうキツイ。
     
  • タクシーもツアーもホテルも公定料金が定められていて、それがきちんと守られている。
     だからいつでも適正な料金で、すなわち日本の感覚からすればとっても安く旅行できる。デリーやアグラではボッタクリ・詐欺師が多くてウンザリする。それに比べて、とっても気が楽。
ラダックって 旅行しやすくて、いいところだなぁ と思いました。

★ イスラム建築が綺麗!

 タージマハル はインドにあって、今のインドにはヒンドゥー教徒が多いが、これはイスラム王朝が造ったものだ。近くにあるファティープル・シークリーもいい。
 アルハンブラ宮殿はスペインにあって、今のスペインにはクリスチャンが多いが、これもイスラム王朝が造った。
 どちらもきれいな建築物として有名だ。(アルハンブラ宮殿にボクは行ったことは無いが)
 イスラムの本場=中東はどうかというと、ボクが特にきれいだと思うのはイラン・イスファハンの イマーム広場 。ウズベキスタン・サマルカンドの レジキスタン広場 もいい。


☆ ウズベキスタン2003夏
(→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/2003.html )

  ◇ サマルカンド
  ◇ ブハラ
  ◇ モスクの天井       など


☆ イラン2006春
(→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/2006.html )

  ◇ イスファハン
  ◇ キャラバン・サライ
  ◇ バム遺跡         など


☆ ラダック2007夏
  https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_44.html )

  ◇ アグラ          など


「世界のきれいな建築はことごとくイスラムだ」、そう言っても言い過ぎではないと思う。

2019年5月13日月曜日

携帯電話第一声の世界標準

 携帯電話の第一声で「もしもし」というのは日本人だけだ。世界の多くの人たちは、それとは異なる万国共通のある言葉から始める。ラオスの人も東ティモールの人もイエメンの人も「もしもし」とは言わない。
 では、何と言うかというと、"Hello" だ。二言目はみんなバラバラだ。大抵の人は自国語で、各自の流儀で、そして個々の要件に応じて話を進める。でも、ミャンマーでもベトナムでもペルーでも第一声だけは共通なのである。
 これまでいろんな国を旅行してきて現地の人が携帯電話をする様子をたくさん見てきたが、英語をまったくしゃべらないような人でも第一声はたいてい "Hello" なのである。そして二言目からバングラデシュの人はベンガル語に、グアテマラの人はスペイン語になる。

 さて、なぜ日本人だけが携帯電話の第一声で「もしもし」と言うのか? ここで「日本人だから日本語でしゃべるのは当たり前だ」というのは答えにならない。なぜなら、世界の多くの人たちは自国語ではない言葉で携帯電話の第一声を発するからである。
 質問の仕方を変えよう。なぜ日本人は携帯電話を "Hello" から始めないのか? ここで「そこだけ英語で言うのはおかしいだろ!」というのも答えにならない。なぜなら、世界の多くの人たちは第一声だけを英語で言い、第二声から自国語でしゃべるからである。
 おそらくは "Hello" で話を始めるのが世界標準なのである。世界中の人たちを観察したわけではないし、統計を取ったわけはないが、たぶんそうだ。かなりの割合の人が、きっとそうだ。
 その中で、日本人は例外なのである、おそらく。日本人だけではないかもしれないが、"Hello" から始めない人は世界の少数派に違いない。なぜか? 非常に興味深い現象である。

外出禁止令

(2008年冬)

 外国を旅行中に外出禁止令を喰らったことが2度あります。
 1回は、1990年にイスラエル占領下のガザ地区で。今では曲がりなりにもパレスチナの自治が行われていますが、当時は夜間外出禁止令が毎日出ていました。それがわかっていて自分で乗り込んだのですから、明らかにボクの勝手なんですが。(この旅行中の出来事についての記事は、こちら をどうぞ)

 もう1回は、スリランカで。今日は、その話を少々。
 スリランカでは民族対立に端を発するテロがしばしば起きています。もう何十年も続いているようですが、それでも比較的落ち着いている時期と危険な時期があるようです。
 1989年夏、深夜にコロンボ空港に着いてみると、いきなり外出禁止令の真っ最中。それでも空港から街までのタクシーは動いていましたので、なんとかホテルにもぐり込みました。次の朝、外出禁止令が解除されたので、バスで古都キャンディーに移動。 着いたらまた外出禁止令。
 その辺りからだんだんボクにもわかってきました。というのは、外出禁止令には2種類あるんです。1つは、政府軍が出すもの。こちらが出されても、人は案外平気で外へ出ます。もう1つは、ゲリラ側が出すもの。これが出されると、人は極力外へ出ないようになるんですね。政府軍は一般市民には無茶なことはしないが、ゲリラ側は何をやらかすかわからない、ということなんでしょう。
 コロンボ空港到着時に外出禁止令を出したのは政府軍で、キャンディーで外出禁止令を出したのはゲリラ側。要するに、そういうことだったわけです。だから、キャンディーのホテルでは缶詰めにされました。で、結局どうしたかというと、たまたま同じホテルに泊まっていた団体さんのバスに便乗させてもらいました。
 彼らは観光を兼ねてボランティア活動をしに来ていました。彼らにはスリランカ仏教界の偉いお坊さんがついていて、情報も入っているようでした。ボクは例の如く、当時3才の息子と一緒でしたので、同情してくれたのかもしれません。バスは途中2ヶ所ほど観光しながら、コロンボの街に戻りました。余談ですが、ツアーは食事がいちいち豪勢でやたらと時間をかけるので、ボクにはついていけないと思いました。
 で、詰まるところ何が言いたいかというと、今のスリランカ情勢はどうなのかなぁ、ということです。そろそろ、また行ってみたいなぁ、なんて考えてるもんですから。

2019年5月1日水曜日

アッラーの神はどこにいるか?

 イスラム教では偶像崇拝を禁じている。だから、神をかたどった像も絵も無い。また、ムスリム(イスラム教徒)は「アッラーの他に神はいない」と言ってお祈りする。だから、宇宙のどこを探してもアッラー以外の他の神はいない。
 では、アッラーはどこにいるか?
 実はアッラーも結局はいないのである。アッラーがどんなものでどこにいるか、預言者ムハンマド(マホメット)以外には誰も知らない。誰もアッラーを感知したことなどないし、誰にもイメージさえできないものなのだ。つまり、イスラム教は究極の無神論である。
 ところで、実はアッラーはどこにでもいるのである。「アッラーの他に神はいない」ということは「神様はどれもこれもすべてアッラーだ」ということだ。雷もアッラーで、狐もアッラーで、スプーン曲げもアッラーなのである。つまり、イスラム教は究極の汎神論である。
 ムスリムの人たちの宗教観とボクら日本人の宗教観とは、案外似ているのである。



 宗教戦争って、仕掛けるのはいつもヨーロッパ人なんじゃないかな。
 たとえば聖地エルサレム。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地。もともとエルサレムに住んでる人はみんなアラブ人で、言葉も一緒、文化も一緒、顔つきも一緒、ただ宗教が違うだけで、みんな互いに尊重し合って、仲良く暮らしていたのさ。
 そこにヨーロッパ人がちょっかいを出すの。
◇ 「聖地を奪還する」と言って、ローマ教会が〈十字軍〉を送り込む。
◇ 「故郷へ還る」と言って、ヨーロッパのユダヤ教徒が〈イスラエル〉を作る。
もともとそこに住んでるキリスト教徒やユダヤ教徒はそんなこと思いつきもしないさ。その発想は、植民地や奴隷を作るのと同じ発想で、ヨーロッパ人特有の発想なんだろうと思うよ。

2019年4月19日金曜日

シリアの避難民は何から避難しているのか?

(2015年11月)

 シリアではアサド政権と反政府組織とIS(イスラム国)が三つ巴の争いをしていて、そこにアメリカとロシアが絡んでますます危ないことになっている。その影響でシリアから大勢の難民・避難民が出ていることがニュースになっている。
 さて、シリアからの難民・避難民が何から避難しているのかというと、個々に見れば様々だろう。それについて僕が聞いた中で説得力があると思った見解を紹介しよう。
 「一番大きな原因は空爆である。数では、空爆を逃れようと避難する人たちが最も多い。ところで、空爆しているのは誰かというと、まずはアサド政権、そしてアメリカとロシアである。反政府組織やISは空爆できるような武器を持っていない」と。
 ISのやっていることはひどいと思うし、それから避難している人たちも多いのだろうけれど、難民・避難民を生んでいる最も大きな要因はそれではない、という見解だ。
 難民のニュースとISのニュースを同時並行に流せば、受け取る側は「ISから逃れて難民・避難民になっている」という印象を持つだろう。けれども冷静に考えてみれば、先ほどの見解の方がいかにもありそうなことだなと思った次第である。

2019年4月5日金曜日

☆ ウズベキスタン2003夏

 ウズベキスタンへ当時1歳の娘と二人旅。美少年系美少女はそのままに、娘は今年17歳になります。最近じゃ「イケメンマッチョな男連れて(身辺警護させて)、南米に行きたい」とか言ってます。


 サマルカンド と ブハラ のいろんな場所でいろんな人に抱っこしてもらいました。


☆ イラン2006春

 イランへ当時4歳の娘と二人旅。美少年系美少女はそのままに、娘は今年17歳になります。ここのところしばらく中東に行っていないのですが、「エジプトかトルコに行きたい」と娘は言っています。


(写真上:イスファハン、左:バム遺跡を望む、中:ケルマーンの図書館、右:宿の屋根付き中庭にて)


バム遺跡(イラン)

(2006年春)


 2006年春に、イラン南東部を旅行しました。ボクの目的地は「バム遺跡」。2003年暮れの地震で崩壊した遺跡です。上の写真は、旅先に貼ってあったポスターを写真に撮ったもの。上が地震前、下が地震後です。もともと泥を固めて造ったような建物ですから、地震でもとの泥に戻ってしまったかのようでした。現在はユネスコの危機遺産に登録されていて、ようやく修復が始まったところです。遺跡の周りの町や村でも、遺跡と同じ構造の古い建物は、遺跡と同じ様な被害を受けていました。新しい家はそれほどでもなかったのですが。
 さて、バムは小さな町ですから、空港がありません。飛行機を使うなら、空港の選択肢は2つ。パキスタン・アフガニスタン国境に近い「ザーヘダーン」か、イラン中央部に近い「ケルマーン」です。どちらからもバスで3~4時間というところでしょうか。そのどちらかの空港を、周遊ルートやフライト・スケジュールによって、使い分けることになります。ボクはイスラム教シーア派の聖地「マシュハド」から飛行機で「ザーヘダーン」へ飛びました。すぐにバス乗り場に移動し、そのままバスで「バム」へ向かいました。バムで1泊して、その先は乗り合いタクシーで「ケルマン」へ。

 さて、その頃の現地の治安状況を、ボクが経験した限りでお話しします。今から10年以上前のことですが、それほど変わっていない点もあると思いますので。
 一般的に言うと、イランは治安がよい国です。多くの日本人がイメージしているよりも、豊かです。人々の身なりもきちんとしているし、旅行者にはみんなすごく親切です。道路もきれいに整備されていて、日本のような渋滞がない分、移動もスムーズです。イランはとても旅行しやすい国だというのが、ボクの印象です。
 けれども、イラク・アフガニスタン・パキスタンの国境付近だけは例外のようです。ボクが「ザーヘダーン経由でバムへ行く」と言ったら、現地の人はいろいろとアドバイスしてくれました。「国境付近は危険だ」、「他のルートで行った方がいい」、「十分に気をつけて」と。それでもボクは行きましたが、昼間だったこともあって、特に何もありませんでした。バスに乗っている途中に何度も検問があったことを除けば。後で聞いたことですが、「ザーヘダーン」の町では、夜になると時々銃声が聞こえるそうです。
 インドからパキスタンを通ってイランに入るルートは、昔からバックパッカーの定番のコースです。現在の状況は、イラン国内よりもパキスタン領内の方が危険度が高いという話を聞いています。そのコースを通る旅行者は十分に気をつけてくださいね。
 ところで、イヌが人に噛みついてもニュースになりませんが、人がイヌに噛みついたらニュースになります。今回の事件も、ニュースになるくらい珍しいことだと考えれば、何も怯むことはないのです。イランはとっても素敵なところです。以上、ちょっと古めのマニアな情報でした。

イスファハン(イラン)

(2006年春)

イマーム広場@イスファハン.イラン。
四角い広場をイスラムの施設や店がぐるりと取り囲んでいる。
朝に昼に夜にぶらぶらぐるぐる歩き回るのが良い。

ブハラ(ウズベキスタン)

(2003年夏)


ブハラ。石色レンガの凹凸模様とワンポイントの青いタイルが印象的。

サマルカンド(ウズベキスタン)

(2006年春)


 サマルカンドはチムール帝国の都だった町。たくさんのイスラム建築が残っている。
 イランのイスラム建築と似ているが、宗教そのものにイランのような生き生き感をあまり感じなかった。旧ソ連の一部だったことが影響してるのかもしれない。

キャラバン・サライ(イラン)

(2006年春)


キャラバン・サライをホテルに改修 @ イスファハン.イラン。

(左上&右上:中庭 、右下:レストラン 、左下:喫茶コーナー 、中央:コーラン博物館)

まるごと文化財ですね。

モスクの天井(ウズベキスタン)

(2003年夏)


モスクの天井。サマルカンドはチムール帝国の都だった町。

◇ イランのモスクの天井は こちら をどうぞ。

モスクの天井(イラン)

(2006年春)


モスクの天井6連発。
上ばっかり向いているより、いっそのことモスクでは仰向けに寝っ転がるのが正解です。
 
◇ サマルカンド(ウズベキスタン)のモスクの天井は こちら をどうぞ。