だから東洋人は相手の目が見えないと、相手が何を考えているのかわからない。西洋人は相手の口が見えないと、相手が何を考えているのかわからない。
だから東洋人はサングラスしている人が怖い。西洋人はマスクしている人が怖い。
だから東洋人はサングラスしている人が怖い。西洋人はマスクしている人が怖い。
「何をやりたいか、何になりたいか」を考えるより、むしろ「何をやりたくないか、何になりたくないか」を考えた方が良いんじゃないだろうか。
「死んだら、どうなるか?」を考える際に、同時に「生まれてこなかったら、どうなっていたんだろう?」を考えると、いろいろ見えてくることがあるんじゃないだろうか。
もし人間が不老不死になったら、地上に人間があふれて、足の踏み場もないことになる。生命には「自分を修復する能力」と「新しい生命を生み出す能力」があります。そして、どちらを採用するかは、コストの問題です。「古いものを修復して使い続ける」方が安上がりなうちはそうしますが、そうするのは割に合わないと見做せば「古いものを放棄して、新しいものに作り変え」ます。だから、生命には寿命があって、子孫を残すのです。
もしあの世があったら、あの世に人があふれて、どこにも行き場がないことになる。
もし自分だけが不老不死になって、他の人は死ぬとすれば、完全に孤立する。
以上から、やっぱり死んで消えて無くなるのがいいな、という結論に達した。
よわいコストを無視してまで「修復して使い続けよう」とする動機は、生命にはありません。採算度返しで生き延びようという発想は、生命にはありません。
齢 ・・・ それは致死率100%にして、不治の病。
生まれながらにして「余命ン十年、長くてあと100年もつかどうか」と宣告されたようなもの。
一万年生きるとしたら、私はきっと悲しい。
オレが死んだら、遺体をライオンのエサにしてくれ。ボクたちは生き物を食べている。レストランでも家庭でも、食事でもおやつでも、ボクたちが口にしているものは、水と塩以外はすべて動植物だ。太古の昔から現代に至るまで、どんなに科学技術が進んでも、その事情は変わらない。
残ったものは虫のエサに、最後は微生物のエサにしてくれ。