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2021年2月13日土曜日

はら

はらの形状を決める要因は3つ。影響の大きいものから 順に 並べると、
    1. はらの 中身 (内臓がつまってる)
    2. はらの 外側 (筋肉で押さえてる)
    3. さらに外側   (皮下脂肪の厚さ)
くれぐれも、1>2>3 であることを確認しておきたい。
はらの内側がポイントであって、一番外側ばかり気にしてもナンにもならない。
つまり、しっかり 食べて 、適度にはらを 動かせば 大丈夫、きっと。

2021年1月6日水曜日

顔


芽 、花 、朽ち 。 葉 、穂 、実 。 香 。

目 、鼻 、口 。  歯 、頬 、耳 。 顔 。


・・・そうか、顔って、草花だったのか。。。

2020年12月12日土曜日

コロナ健康観察票の今

文部科学省発行の「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」

「健康観察表」は、児童生徒等の朝晩の体温、体調、同居家族の状況、保護者のサイン等を記入し、登校時に持参します。(P.22)

(P.23)

 健康観察票でチェックしているのは「測ったか?」ではない。「発熱しているか?」でもない。健康観察票でチェックしているのは「書いたか? サイン(または印)したか? 持ってきたか?」である。
 だから多くの生徒たちは「書いて、サイン(または印)して、持ってくる」もしくは「カバンもしくは学校の机に入れたままの紙に書いて、サイン(または印)して」チェックを受ける。それさえしていれば問題は起きない。いずれかのステップを取りこぼすと面倒なことになる。
 「測ったか? 発熱しているか?」がチェック項目に入ることは、論理的にありえない。なぜならそれらを学校でチェックするとしたら、そもそも健康観察票に意味が無いことになるからだ。こうして、チェックする側にとっても、チェックを受ける側にとっても「測ったか? 発熱しているか?」は「どうでもよいこと」になるわけである。

2020年12月5日土曜日

コロナの健康観察票にひっかかる人とは?

 コロナの健康観察票にひっかかる人とはどんな人か? 「感染していて、かつ症状があって、真面目で正直で、しかもバカ」・・・でも、そんな人いないから。つまり、健康観察票なんてやるだけ無駄だと思うな。


 来週から期末試験で、今日が2学期の最後の授業。高校3年生は3学期に授業がないので、今日の4時間目が高校生活最後の授業だった。
 高校3年のあるクラスで、たまたま僕がその最後の授業の担当だった。今更やることもないので自習にして、暇だから僕が黒板に下のように書いた。
 生徒たちは共感してくれた。その後で、みんなで記念写真を撮ろうということになって、黒板の文字もバッチリ入れた。

 こんなことを毎日毎日オレたちはやっている。健康観察票の記入・押印とチェックだ。揃いも揃って、みんな大バカじゃないか!?
 健康観察票なんて自己申告なんだから、紙に書いてチェックを受ける必然性は無いんだよ。「熱があったら来るな」、これだけ言うのと何も変わらないのに。


※ ちなみに僕も毎朝、出勤簿に数字を書いている。バカバカしいと思いながら、もうやめようよと思いながら書いている。その数字が体温かどうか、そんなこと知ったこっちゃぁない。検温したかどうかは、そんなもん対象外なんだよ。

2020年12月2日水曜日

コロナ対策のストレスから子供たちを守れ

 ある学校の先生が言っていた。「コロナ・ウィルス感染から子供たちを守る」と。しかし、私は思う。子供たちにとっての現実的なリスクは、ウィルス感染そのものよりも、ウィルス対策によるストレスの方だ。だから、いま言うべきは「コロナ対策のストレスから子供たちを守る」ことじゃないか、と。
 子供たちがコロナ・ウィルスに感染しても多くの場合無症状で、もしくはせいぜい軽症だ。重症化する可能性は小さい。そのリスクはゼロではないにせよ、インフルエンザなど他の病気や怪我に比べて決して大きいものではない。
 それに比べれば、コロナ対策によるストレスは確実に子供たちに及んでいる。そしてそのことに因るであろう弊害がすでにいろんなところに出てきている。

「高齢者をウィルス感染から守るために、子供たちにも協力してほしい」ということなら理解できる。そしてその場合は「ほどほどに」ということになるだろう。それに対して「コロナ・ウィルス感染から子供たちを守る」という発想はしばしば「徹底的な」対策になりがちで、現にあちこちの学校でそうなっている。
 もうかれこれ1年近く経っているのだよ。もうそろそろ「コロナ対策のストレスから子供たちを守る」方向に舵を切った方が良いんじゃなかろうか。いや一刻も早くそうするべきだと私は思うのだ。

 そこで私は考えた。通学の電車やバスの中でマスクして声も発せず黙って乗っているのだから、学校に着いた瞬間から「コロナ対策フリー」にしてしまおう。校門を入ったらすぐにマスクを外して良いとする。大声で叫ぶもよし、じゃれ合うもよし、ツバをかけ合うバカがいても「勝手にやってろ」と放置する。
 そして下校時の電車・バスの中では再びマスクをして静かに乗る。「高齢者をウィルス感染から守るため」だ。そのための協力なら惜しまない。けれどもその代わりに、学校の中では思う存分自由に、コロナのことをすっかり忘れて過ごす。これが「コロナ対策フリーな学校」だ。
 絶妙なバランスだと思うな。それくらいで行こうよ。

2020年11月16日月曜日

それってパリ・オリンピックに向けての発言なの?

 今日の Yahoo!ニュース から引用。
 首相は会談で「人類がウイルスに打ち勝った証しとして・・・(中略)・・・東京大会の開催を実現する決意だ」と表明。
 これに対し、バッハ会長は「今回開かれる大会はコロナ後の世界で人類の連帯と結束力を表すシンボルとなるものだ」と指摘。

 まだ全然「打ち勝って」いないし、「コロナ後」でもない。来年夏の時点で「打ち勝っている」可能性、「コロナが過去のもの」になっている可能性はあるのだろうけれど、その可能性は決して高くない。少なくとも確実ではない。それを確実視する人は専門家にもほとんどいないだろう。
 首相と会長のその発言が「2024年のパリ・オリンピックに向けて」のものなら理解できる。「3年半後の目標」を語るなら、心意気としては分かる。
「人類がウイルスに打ち勝った証し」であるとか、「コロナ後の世界のシンボル」であるとか、これらはパリ・オリンピックに向けての謳い文句にぴったりだ。それだったら首相と会長に大いに賛同したいところではある。
 けれども、それが「来年の見通し」だと言うなら、彼らはリーダー失格だと私は思う。

2020年10月31日土曜日

今年のハロウィンの仮装はコロナ・ウィルスで決まり

  教室でハロウィンの仮装している奴がいた。百均で買ってきたような、出来合いの安っぽいものをつけている。そこで言ってやった。

今年のハロウィンで仮装するならコロナ・ウィルスに決まりでしょ。
カッコ良いの手作りせぇよ。きっと目立つぜ。

 いっしょにやる?

2020年10月8日木曜日

with コロナ のお出かけ術

○ 人を見たらコロナだと思え。

○ マスクしてない奴は感染者と見なされる。

○ 掌は濡れているのが常。

○ それが嫌なら家に篭ってろ。

2020年7月25日土曜日

投票する意味

(2007年春)

 着物は日本独自の伝統文化である。だから、これからもずっと続いてほしいと思う。中には何百万円もするものもあるらしいが、それもまた文化の水準を維持するためには必要なことなのだろう。
 ところで、誰も買わなかったら、着物産業は廃れてしまう。一定の数の人がそれを買うから、伝統が守られる。
 とは言え、自分がそんな高価なものを買うつもりはない。伝統は守りたいが、着物そのものは要らない。要するに、着物の文化を守り発展させるためには、自分以外の多くの人がそれを買うのが一番いいわけだ。

 さて、昨日の選挙。民主主義を守るために、選挙制度は必要である。選挙があるから、民意が政治に反映される。だから有権者の一定数は、投票しなきゃいけない。そうでなければ、民主主義が脅かされる。
 とは言え、有権者全員が投票しなくても条件は満たされる。つまりは、一定数が投票するのであれば、自分は投票に行かなくてもいいわけだ。

 歌舞伎の伝統を守るためには、それを経済的に支える熱烈なファンがいなきゃいけない。サッカーのワールドカップで日本が優勝するためには、その背後に多数のサッカー人口が不可欠だ。
 だけれども、自分が歌舞伎ファンやサッカープレーヤーにならなきゃいけないというわけではない。

 大きな声ではいえないが、また誰かに叱られそうだが、ボクは今回も選挙に・・・(以下、略)。

2020年6月17日水曜日

マスクやぁめた、ステップ2

 今日から僕は「マスクやめた!」の「ステップ2」に入った。
 実は3日前の日曜日から僕は「ステップ1」に入っていた。ステップ1では「スーパーやコンビニ、ショッピング・センターでのマスクをしない」。冷ややかな目線を感じながら、僕はステップ1の最中にあった。
 今日からのステップ2では「電車・バスと授業以外でのマスク着用をやめる」。逆に言うと「電車・バスと授業中だけはマスクをつける」ということだ。「授業中にマスクをつける」というのは、何しろ僕は大声で「しゃべる役回り」なので、まだマスクを外すのは早いと判断したということだ。順当だと思っている。
 ステップ2では教員室や廊下ではマスクをしない。僕以外の多くの人はそこでマスクをしているが、僕はマスクをしない。ステップ2とはそういうことだ。
 ところで、そう言えば、僕は屋外ではほとんどマスクをしたことがない。する必要を感じないからだ。屋外でマスクしないことは、僕には「ステップ0」に当たる。
 次の段階「ステップ3」では、マスク全面解除となる。授業中だろうと公共交通機関だろうと僕はマスクをしなくなる。待ち遠しい。早くその日が来て欲しい。



新型コロナは哲学のタネ ( 統計 / 経済 / 学校 / 科学 / 生活 )

2020年6月14日日曜日

「ビート板消毒」で伝えたいメッセージは何なのか?

 先ほどニュース報道で言っていた。「地域によって小学校のプールが始まった。新型コロナ対策として『こまめにビート板を消毒』しながらのプール開き」だと。
 さて、その報道で伝えたいメッセージは何なのだろう?

○ 子供たち、良かったね。楽しんでね。
○ 学校の先生は大変だね。お疲れさん。
○ はぁ?バカじゃないの。無駄でしょ。

 あなたが(そして私が)真っ先に感じたことは、たぶんズバリ本質を突いている。


◇ スポーツ庁からの【事務連絡】「今年度における学校の水泳指導の取扱いについて」

2020年6月11日木曜日

スーパーへ行くのに忘れ物

 スーパーに買い物に行くのに、つい忘れ物をしちゃうときってあるよね。
 さて、次のうち、忘れると最もマズいのはどれだろう? 比較的マシなのは? ヤバイ順に並べてみよう。

1.お財布
2.マスクのつけ忘れ
3.ズボンとパンツの履き忘れ

 てか、マスクしなきゃいかんのか? もうやめようよ! 相互自警団じゃあるまいし。

2020年5月21日木曜日

通勤・通学電車は3密なのか?

 緊急事態宣言を解除、外出自粛要請を緩和するなど社会生活・経済活動を再開する動きが進んでいる。
 そうは言ってもいきなりコロナ以前に戻れるはずもなく、ソーシャル・ディスタンスを保つなどして「3密を避ける」ようにとの訴えは続いている。3密とは「密閉、密集、密接」を指す。レストランではテーブルを離して置くだとか、スーパーのレジでは間隔を開けて並ぶであるとか、学校では分散登校するであるとか、3密を避けるあの手この手が言われている。
 逆にいえば「3密を避ければ」これまでの社会生活・経済活動を再開して良いという意見が多くなっている。
 ところで、通勤・通学電車は3密なのだろうか? 私は3密だと思う。普通に考えればそうだろうと思うのだが、皆さんはいかがお考えだろうか。
 どうして私がこんな言い方をするのかと言うと、報道を見る限り、通勤・通学電車に触れないようにしているような気がするのだ。
 さぁ社会・経済活動を再開しよう。でも3密は避けてね。会社も学校も、レストランも映画館もイベントも、3密を避けて再開しよう。・・・でも、通勤・通学電車を使わずに、どうやって会社や学校に行けと言うんだ? 通勤・通学電車は3密でないから良いと言うのか? 通勤・通学電車だけは仕方ないから、3密だけど乗れと言うのか?

 学校に関して、私見を述べる。日本全国のすべての学校を一律に扱う必要はない。地域によって、学校の種類によって環境は大きく違うのだから、個別に判断すればよい。
 地方の学校は今すぐにでも普通に再開しよう。都会の学校であっても、歩いて通える公立の小学校・中学校も普通に再開してよい。
 東京都立高校は慎重に考えよう。通学電車に片道1時間以上乗ってやってくる生徒が多いからだ。都会の私立学校は要注意だ。中でも都心にあって首都圏一帯から生徒が集まってくるような私立の中高一貫校は最も危険だ。

2020年5月11日月曜日

「不要不急」の反対は?

 外にいるのに良い季節だが、虫も多くなってきた。そこで、庭 に 蚊帳 を張った。
 イケアで税込み ¥1,999 で買ってきた。ところで、先日の 羽田空港 への外出と同じく、これも不要不急ではない。オンライン授業のためという「必要」がある上に、今週中に始まるのに間に合わせるためには「至急」やらなきゃいけない。というわけで、これも「不要不急」どころか「必要至急の外出」だったわけである。


 ところで、だ。ふと思ったのだが、「不要不急」の反対は、本当に「必要至急」なのだろうか?
 「不要」の反対が「必要」で、「不急」の反対が「至急」だとしよう。でも、そもそも「不要不急」の意味が「不要かつ不急」ならその反対は「必要または至急」になり、「不要不急」の意味が「不要または不急」ならその反対は「必要かつ至急」になる。(ド・モルガンの法則)
 この2つはまるで違う。決定的に違う。「かつ」なのか「または」なのかによって、「不要不急」に該当する範囲がまるで変わるからである。したがって、その反対であるところの「必要至急」に該当する範囲もまるで変わる。
 というわけで、「不要不急」の反対が「必要至急」かと言うと、そうは言えそうにない。不明瞭なものに、その反対のものを考えるのは無理がある。

 こーしていつものよーにどーでもいーことをガタガタ書いているわけだが、それはそーと、少しずつオンライン授業の準備が整いつつある。黒板 の構想も進んでいる。あとは「何を説明するか」だ。残った課題はそれだけだ。
 そしてまた思う。まだオンライン授業がまだ始まってもいないのだが、1年間ずっとやればいんじゃね? 学校いく必要ある? ダメかな?

2020年5月3日日曜日

★ 新型コロナは哲学のタネ

☆ 統計 編
(→ https://omori55.blogspot.com/2020/05/blog-post_4.html )

  ◇ 情報伝達をモデル化して、エクセルでシミュレーションする
  ◇ 倍々ゲーム
  ◇ PCR検査実施数はどれくらいが適当か?
  ◇ 前年同月比の振る舞い
  ◇ 携帯電話位置情報の正しい使い方


☆ 経済 編
(→ https://omori55.blogspot.com/2020/05/blog-post_64.html )

  ◇ コロナ対策で現金支給が切り拓くベーシック・インカムな未来
  ◇ 今こそ看護師のストライキにエールを送りたい
  ◇ コロナ騒動で弾けたバブルと湧いたバブル
  ◇ 今日の羽田空港(T3 ,T1&T2)


☆ 学校 編
(→ https://omori55.blogspot.com/2020/05/blog-post_98.html )

  ◇ 大学入試改革元年が面白いことになりそうだ
  ◇ 教科書を読もう
  ◇ 「9月入学」の議論で2つのことがごっちゃになっている
  ◇ オンライン授業の準備は100均の黒板から
  ◇ 


☆ 科学 編
(→ https://omori55.blogspot.com/2020/05/blog-post_5.html )

  ◇ アビガンか、レムデシビルか
  ◇ ウィルスを巡る3題 ー 見えない敵、コンピュータ・ウィルス、殺処分 ー
  ◇ 「ビート板消毒」で伝えたいメッセージは何なのか?
  ◇ 「不要不急」の反対は?

「自粛要請」が成り立つ条件

 兼ね合い        公正世界仮説 
↓            ↓ 
 協調 → 自粛要請 ← 同調圧力 
↓            ↓ 
 足並みをそろえる     足の引っ張り合い 
公正世界仮説:世界は公正・公平・平等に出来ている、と考える認知バイアス(思い込み)。
       それにより「人と違う行動をとることは不正である」と考えがちである。  

 次の2つはSNS上で話題になったものです。いずれも自粛要請の最中に街に出かける人たちを非難するもので、これらを見た人の多くは「そうだ、そうだ」と共感・応援・同調することでしょう。

(1) (Twitter で話題に)
現役看護師からのお願いです。
外出ないで。感染者増やさないで。どれだけ私達医療従事者が死ぬ気で働いてもバカが移動したら感染が止まらない。もう働きたくない。なんで命削ってまで必死に働いて患者助けてるのにこんなアホのせいでまた寝れない日々を過ごさんといけんの。
   これは、おそらく創作です。私がそう思う理由は、これは現場の声というより「報道から受ける印象そのもの」だと感じるからです。俗に言う、上から目線です。「現役看護師」も自称でしょう。そんなものは、いくらでも言えます。そう、これはなかなか良く出来た創作なのです。


(2) (登山家の野口健さんが Yahoo!ニュース「東京吉祥寺 今週末も賑わう」にリツイート)
なんでこうも想像力のない人が多いのだろうか… 。国からの緊急事態宣言や、都道府県からの自粛要請は何もお国や知事のためのものではなく、僕たちの「命を守る」ため。親、兄弟、子供たち、また、職場の同僚たちに感染させないため。どうしてその事が分からないのかな。
   想像力とは広がるもののはずなのに、彼は視野を狭めることをもって想像力と呼んでいるようだ。「命を守る、感染させない」、そんなことはみんなわかっている。わかった上で、いろんなことの兼ね合いで、出掛けている。それくらいのことは想像しろよ。


 知り合いの教育関係者が「Yahoo!のコメント欄で見かけた」としてSNSに投稿した。この投稿に対するコメントのほとんどが「出掛けている大人たちを非難」するものだった。

(3) (Yahoo!コメントより)
現役高校3年生です。私も、周りの友達も皆家で待機しているのに今日テレビで遊んでいる大人をみました。私達の頑張りが無駄になるのは耐え難いです。
   この高校生はジレンマにあるんだろうな。彼は「じゃぁ私も遊びに行こうかな?」と考えても良かったわけだ。そう考えたのかもしれないし、考えなかったのかもしれないが、彼は「耐え難い」と書いた。それに対して、次のような反応が1つや2つあっても良いと私は思うのだ。「君も遊びに行けばいいのに」と。


 あくまでも自粛です。他人の意見・価値観を材料の1つにするにせよ、判断するのは自分です。

アビガンか、レムデシビルか

 アビガンであれレムデシビルであれ、要は「使い回し」だから、新型コロナ「狙い撃ち」というわけにはいかないだろう。いまあるものを使い回しても「5割の人には効果がなくて、3割の人にはそこそこ効いて、2割の人にはむしろ副作用の方が大きい」、これくらいがせいぜいなのではないだろうか。
 それでも「無いよりはマシ、うまくいく可能性はある」。それくらいに思っておこう。あまり大きな期待はしない方が良い。そして本当に効く薬が登場するのは多分2〜3年後。それまで感染流行はつづく、とそのように考えておこう。


※ 私は医学について素人です。感染症についてド素人です。薬学について何も知らない。
 でも、堂々と言う。だからこそ、ズバリ言える。それでいて、専門家と精度はさほど変わらない。ふふっ。

「9月入学」の議論で2つのことがごっちゃになっている

 ここ数日で出てきた「9月入学案」について、大方の議論は「『今年の』学校の始まりが9月になる」ことと「『今後ずっと』学校の始まりが9月になる」こととがごっちゃになっている。
 前者『今年』については「コロナ次第」なわけで、これからの感染状況に依る。予想すること、準備することはできても、現時点で決めることはできない。
 後者『今後』については「コロナとは別個」に検討・実施するべきことだ。コロナ騒動の最中にそれを検討・実施するのが、はたして得策だろうか。

 そもそも「今年9月にコロナ騒動が収まっている」保証はないのに、どさくさに紛れて「いっそのこと毎年9月始まりに」しちゃえば、「コロナ禍からの一発大逆転ができそう」だと期待しているようなのだ。

 ところで、私が「9月入学案」にどのように考えるかというと、『今年』については「9月開始になる可能性はあるだろうな」と思う。でも、コロナの第3波、第4波がやって来て、そのうちまた休校にならないとも限らない。
 一方で『今後』については「1年半後のことをいま決めるのは時間が無さすぎる」と思う。それはコロナ騒動が落ち着いてからじっくり考えよう。そんなことより今はコロナの方に人・時間・お金などの資源を投入した方が良い。

2020年4月20日月曜日

ウィルスを巡る3題

ー 見えない敵、コンピュータ・ウィルス、殺処分 ー

◇ 「見えない敵」との闘い
 新型コロナ・ウィルスを称して「見えない敵」と呼ぶことがある。ところで、9年前(東日本大震災3.11の頃)に言われた「見えない敵」は放射能だが、この2つには共通点もあるし、相違点もある。さて、どこが同じで、どこが違うんだろう?

◇ コンピュータ・ウィルスのパンデミックは?
 コンピュータ・ウィルスが世界を混乱に陥れるのかと思いきや、実際に世界を混乱に陥れたのは有機物(生物とは言いにくい)のコロナ・ウィルスだった。さて、どちらのウィルスがより問題か? より厄介か? 本当に世界を破茶滅茶にするのはどっちだろう?

◇ 鳥や豚の感染症ではどう対処してる?
 鳥インフルエンザ、豚コレラも感染症だが、人の感染症とでは扱いが異なる。前者に対しては「ソーシャル・ディスタンス」をとるよりも「殺処分」するのが普通だ。殺処分は、感染症が発生した厩舎から半径ン十キロの範囲で行われる。さて、この2つの対処法、なぜ使い分けるのだろう? どちらが効果的だろうか?

 では、ここで【問題】です。それぞれ1行(30〜50字程度)で書いてください。
(1) 新型コロナ・ウィルスと放射能の違いは?
(2) 2種類のパンデミックの違い(被害の出方・対処法など)は?
(3) 動物の感染症と人の感染症では、なぜ扱いが異なるのか?

 よろしければ下のコメント欄に書いて下さいな。



 この手の【問】には、あれこれ自由に考えて、みんなで言い合い・聞き合うのが良いでしょうね。
 ところで「1行で」というのが案外大事だと私は思っています。いろんな考えがあるからこそ、いろんな発想が同時に頭を駆け巡るからこそ、自分の見解を明確にし、他人に的確に伝えるには「1行」くらいがちょうど良い。でも、絶対にというわけではなくて、目安です。この3問は、2つを比較しながら書くので、字数はやや多めになりますし。

 では、野暮だと思いながら、一応《文章例》を示しましょう。
(1) 新型コロナ・ウィルスは電子顕微鏡で何とか見えるが、
  放射能は遥かに小さくて原理的に絶対に見えない。
(2) 新型コロナ・ウィルスはリアルな交流を困難にし、
  コンピュータ・ウィルスはオンラインの交流を困難にする。
(3) 殺処分の方が効果絶大なのかもしれないが、
  人に対しては出来ないから他の方策を採っているんだろうな。
こんなところでどうでしょ。

2020年4月18日土曜日

半年後のコロナ生活を考える3つの視点

◇ 日・中・韓・台の交流はどうなっているか?
 現在のところ世界中の多くの国が互いに人の行き来を絶っているような状況にあるが、さて今後はどうなるか? その中でも日本と最も密接な関係にあったのは東アジアの国々、すなわち中国・韓国・台湾だ。欧米よりもまず始めに回復したいのは、近場での交流だろう。さて、半年後に日・中・韓・台の交流はどうなっているだろうか?
 日本を含めた4か国の中で、いま現在コロナが最も危機的な状況にあるのは、おそらく日本だ。そのことを踏まえると、中国・韓国・台湾が交流を取り戻す一方で、日本だけが蚊帳の外に置かれるという事態が想定されはしないか?

◇ 自分自身の職場での立ち位置はどうなっているか?
 在宅勤務であるとかテレワークであるとか、そんな形で仕事を進めている人、仕事しているつもりになっている人、フリをしている人、いろんな人がいる。
 公務員や大企業の正社員など収入に変化がない人でも、働き方が変わって、本当に必要な仕事、実は要らなかった仕事、組織に必要な人、実は要らなかった人、そんなことが急に見える化した。
 さて、半年後に自分自身の職場での立ち位置はどうなっているだろうか? 想像してみよう。もはやビフォー・コロナには戻らない。

◇ 複合災害に見舞われやしないか?
 日本はもともと自然災害の多い国。南海トラフ地震、首都直下地震、台風、豪雨に火山噴火。何があっても不思議じゃない。コロナだけにかまっていられるのは、今のうちだけかもしれないぞ。
 日本のコロナ戦略は、医療崩壊させないための引き延ばし戦略。ならばなおさら時間がかかる。他の災害と同時並行で対処しなければならなくなる可能性がその分高くなる。
 首都直下地震が起きたとして、避難所に行くかな? ソーシャル・ディスタンスを保てるか? 怪我したら病院に行くかな? どこで手を洗おうか?

 半年後のコロナ生活は考えるだけでワクワクする。アフター・コロナの生き方、働き方、稼ぎ方、そんなことを考える、今がチャンスだ。