2019年3月19日火曜日

レポート「歴史+エコ(+英語トレーニング)ツアー」

(2018年冬)

 歴史ツアーとエコ・ツアー、そして PARCIC の添乗員が密かに仕込んでいたらしい英語トレーニング・ツアー。まず3つ目について、おかげさまで私の英語力が多少は上達したような気がしています。

 次に、エコ・ツアー 。私は中高の教員であり、高校生の親でもありますが、そこでの経験を多くの日本の中高生にさせたいなと思いました。エコ・ツアーの中身は大きく分けると、マングローブ植林体験と炭焼き工場見学と民泊。
 植林中に私はマングローブの木によじ登る。危ないとみんなは言うが、木登りは普段から家でやっているのでお手のもの。他のツアー参加者にカメラを手渡して写真を撮ってもらったのですが、こちらが期待した木の高さ感をうまく出してくれませんでした。泥の中を歩きながらその人にきっと余裕がなかったのでしょう。泥の中を歩くのも、米作り農家生まれの私は何度も経験済み。田植え経験と木登り経験がマングローブの林の中で大いに役立ちました。なんでも経験しておくのは良いことだと改めて思いました。ここでの経験もまた私の力になってくれることでしょう。そう思うから、それを多くの日本の中高生にも経験してほしいなと思った次第です。ついでながら、ワニだかトカゲだかが川を泳いでいました。たぶんワニくらいの大きさのトカゲだと思います。

 続いて、歴史ツアーについて。一つ新たな発見だったのは、シンガポールで旧日本軍とイギリス植民地軍との戦争ならびに日本による占領の歴史をきちんと保存・展示していること。ビーチには日本軍がマレー半島からシンガポール島に上陸する際の戦いについての説明がありました。イギリス軍の基地跡には梃子の原理を使って大砲の玉の重さを実感する設備がありました。かつてのフォード自動車の工場は、イギリス軍が日本軍に降伏することを調印した場所で、今は戦争・占領博物館のようになっています。当時の日本側・イギリス側双方の新聞記事やテレビ映像をふんだんに用いていて、その意味で客観的に資料を並べています。ここは展示の仕方が上手だから、それを見に行くのも良いでしょう。日本軍の占領が始まってから物価がどんどん上がった様子を、卵の値段を例に挙げて、当時使われていた軍票(日本軍が発行した紙幣)で示していました。
 そして、特に印象に残ったこと。旅行中にいろんなところでいろんな人から話を聞きましたが、その中でペナンとクアラルンプールとシンガポールの3か所で別の人が同じようなことを言っていました。「日本軍が侵攻・占領したことで結果的に良かったこと」について、次の2点です。
  • 「イギリスの植民地支配を受け入れなければならないという訳ではないこと」を学んだ 
日本が武力でイギリスに立ち向かって、一時的ではあったにせよ、イギリスを追い払った。その事実を目にして「アジア人が西洋を打ち負かすことも出来るということ、イギリスの植民地支配に従わなければならないという訳ではないこと、自分たちも独立できるということ」、そういうことを学んだ。
 日本がマレーシア・シンガポールを占領したのは3年ほど。それ以前にマレーシアとシンガポールは120年に渡ってイギリスの植民地だった。ポルトガル・オランダがマレー半島の一部を植民地としていた時代はそこからさらにさかのぼる。
 日本の占領は、ヨーロッパの植民地支配を終わらせる役割を果たした。太平洋戦争が終わって日本が撤退した後にイギリス軍が戻ってきて、マレーシアとシンガポールは再びイギリスの植民地になったが、やがてマレーシア・シンガポールは独立した。
  • 日本はマレーシア・シンガポールの子供たち「全員に一律に教育を施した」 
イギリスの植民地だった時代には多くの子供達は教育を受けていなかった。教育を受けたのはほんの一部の子供達だけ。裕福な家庭の子供と、特権階級の子供たちだけだ。イギリスは一部の子供たちをイギリスに連れて行って、イギリスの学校で学ばせた。その子供たちはマレーシア・シンガポールに戻って、イギリスの手先となって、一般の現地人を管理・支配・搾取する立場になった。
 それに対して日本は、マレーシア・シンガポールに学校を建てて、すべての子どもに一律に教育を施した。それは日本語による教育だったが、多くの子供たちにとって初めての教育の機会だった。
 戦後にそれがマレーシア・シンガポールの力になった。また、人々は教育の効果を知った。それもまた独立への力になった。

 もちろん戦争を経ての占領だったのですから、その過程ではひどいこともいろいろあったことでしょう。その悪い点についてもツアー中にいろいろ見聞きしましたが、それでも上のような「良かった点」について、3か所で異なる人が同じようなことを話していたのが私の記憶に残っています。
 ここから先は個人的な印象ですが、おそらくは中国でも韓国でも台湾でも似たようなことはあったのだろうと思います。中国や韓国の人の口からそれを聞くことは少ないかもしれませんが、マレーシア・シンガポールの人たちは率直にそう話してくれました。実際そういう側面はあったのだろうと思います。

 最後に、次回のツアーに生かしてもらえるかもしれないので、ひとつ提案させてください。多民族国家マレーシアを実感するためにも、プラナカン・ハウスに泊まりたいな。できることなら、いくつかのプラナカン・ハウスに分宿して互いに行き来できると楽しそうです。ツアー参加者の満足度がさらにアップすること確実です。宿泊代が若干アップするかもしれませんが、そこは企業努力でなんとか。

0 件のコメント:

コメントを投稿