2019年4月1日月曜日

棚田が耕作放棄地になってしまう未来(ベトナム)

 ベトナム北部の山岳地帯は少数民族が暮らすエリアである。きれいな棚田が広がっている。
 そしてここでも近代化が進んでいる。舗装道路が伸び、車が行き交い、地元の人もモーター・バイクで移動している。中心地サパは欧米人の一大リゾート地と化している。バックハーにも外国人向けホテルがたくさん出来ている。

 さて、棚田は自給自足的な生活のもとで成り立つものだ。田おこし・田植え・稲刈り、そして棚田そのものの開拓・維持管理・補修、すべてを人力と動物の力で為す。あのような傾斜地に機械は導入できない。その条件は、今後も変わらない。
 ということは、彼らの生活が自給自足的なものでなくなったとき、彼らが棚田でのコメ作りをやめるのは必然だと思うのである。いくつかのケースを考えよう。
(1) 彼らが観光業などで給与労働者となる場合
(2) 彼らがコメ以外の商品作物を栽培する場合
(3) 若者が村を離れて街で暮らす場合
(1) では彼らはコメを作るより、コメを買うようになる。価格では、平地で機械を使って作ったコメの方が安いだろう。苦労して棚田でコメを作るより、他の仕事をして稼いだお金で安いコメを買う方を選ぶに違いない。
 (2) では農地を水平に保つ必要がなくなる。コメ作りは水を張るために土地を水平に保つ必要があるが、他の野菜・穀物を作るためにはその必要はない。傾斜が乱れても、斜面のままでも他に作れるものはいくらでもある。
 (3) ではコメの消費量が減る。その分、使う棚田は少なくて済む。いずれの場合も棚田を今のまま使い続けるとは思えない。

 また、そもそも人々の食生活が変われば、コメの消費量は減るものなのだ。コメには動物にとっての必須アミノ酸6種類のうちの5種類が、他の穀物に比べて多く含まれている。残りの1種類の必須アミノ酸を豊富に含んでいるのは大豆だ。だから、たくさんのコメと少量の大豆を食べれば、人に必要なアミノ酸は足りるのである。宮沢賢治の「雨にも負けず」の中のフレーズ「… 一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ …」は簡潔にそのことを言い表している。
 だから人々が肉を食べるようになると、途端にコメの消費量が減るのである。肉には必須アミノ酸6種類がすべて豊富に含まれる。これまでたくさんのコメを食べることで得ていた必須アミノ酸は、少量の肉を食べることで賄えるからである。
 この事情は、日本のコメ余りの理由と同じだ。俗に言う「パンや麺を食べるようになったから」コメを食べなくなったのではない。肉を食べるようになったから、大量のコメを食べる必要がなくなったのだ。そしてベトナムの山岳地帯でも、生活が豊かになるにつれて肉食が増えていくだろう。そうなれば、やっぱり棚田は消える運命にあるのである。


 見渡す限りのきれいな棚田は、自給自足的生活のゆえに成り立つものだ。だからその生活スタイルが変わったとき、棚田でコメを作る必然性がなくなるのである。そしてそのとき、棚田を維持できるとは思えないのである。
 というわけで、ベトナムの山岳地帯できれいな棚田が見れるのは、もしかしたら今だけかもしれない。今のところ耕作放棄地が増えてるようには見えなかったが、のんびりしてると見逃すぞ。来るなら、今だ。今のうちだ。

 きれいな棚田を前にして、こうして僕はいつも人と違うことを考える。

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