2019年4月3日水曜日

ミャンマーの村で一晩過ごす

(2010年冬)

 カローという町から1泊2日のトレッキングに行った。ゲストはボク1人で、ガイドさんが付きっきりで歩いてくれて、宿泊と4回の食事が付いて、料金はUS15ドル。泊まったお宿はガイドさんの知り合いの家で、そこに間借りした。そのときのレポートです。

明りを灯す
 村の近くを流れる小川で水力発電をしている。朝、誰かが川の流れをせき止めるための仕切りの板を入れる。昼間に水が貯まる。夕方、誰かが仕切りを板を外す。そうすると貯まった水が流れ出て、水車を回す。それから数時間、村の家々に電気が流れる。そして電球がポゥっと点くのである。
 ガイドさんの話によると、電気が送られるのは裕福な家庭だけで、貧しい家庭にはそれも届かないということだ。ボクが泊めてもらった家には電気がきていたから、裕福な部類の家庭だったということなのだろう。
 ところでその家で電気を何に使っていたかというと、仏壇を照らすイルミネーション・ライトに使っていた。そして人はロウソクの火で灯りを取っていた。
 ちなみに、日本の仏壇は先祖(死者)を祀るものだが、ミャンマーの仏壇は仏を祀るものである。つまり、ミャンマーの仏壇の中にあるのは仏像である。

暖をとる
 季節は冬。南国だけど、1500mほどの標高がある場所なので、朝晩は寒かった。家の人が空き缶に燃えた炭を入れて持ってきてくれた。日本でいうところの火鉢である。手を伸ばすと暖かい。子供の頃、経験した暖かさである。ボクの最近の生活では部屋中暖めて体全体で暖かさを感じているが、久しぶりに手のひらで暖かさを感じた。
 家の人たちがみんな集まってきた。みんなで火鉢を囲んで手を伸ばした。この家にテレビは無い。もしあっても電源不足でおそらく満足に映らないだろうから、あっても仕方がない。その代わり、家族みんなで火鉢を囲んでおしゃべりするのだ。

飯を食う
 食事を作る燃料も炭である。ガイドさん曰く、裕福な家庭では炭を使い、貧しい家庭では薪を使う、と。ガイドさんは町から鶏肉を持ってきていた。カローの町を出発するときに市場で買ってきたものだ。米と野菜は村にある。双方がそれぞれ持ち寄って、みんなの分を作って、「これでチャラね」ということらしい。
 食事当番は家のお母さん。ガスを使うのに比べて、炭で煮炊きすると時間がかかる。それでものんびり待てば、やがて出来上がる。うまい。
 ここで突然、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を引用する。
雨にも負けず
風にも負けず
  ・・・
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
  ・・・
そういうものに
わたしはなりたい
この詩を読んでボクは「一日に玄米四合」はちょっと多くないか?、と思ったことがある。今どきの日本人の食生活では、食う米の量はずっと少ない。大量のおかずとデザートとおやつを食うからだ。
 さて、話を元に戻そう。泊めてもらった家の人たちの食事の仕方が、まさに宮沢賢治の詩の中のそれと同じなのである。茶碗に米をたくさんよそって、ちょっとのおかずで大量の米を食べるのである。家族の人もガイドさんもボクに「たくさん食べろ」という。けれども遠慮なくいただくと、いつもの調子でおかずをたくさん食っちゃいそうで、躊躇する。ほんとにうまかったのだ。だから、困った。どういう食い方をしたらいいものか。

水を汲む
 その晩は早く寝た。暗いし寒いし、早々と毛布にくるまって寝てしまった。そしてその分、早起きした。ボクだけじゃない。家族もガイドさんもみんな早起きだ。日暮れとともに寝て、夜明けとともに起きる生活だ。
 村の井戸に人々が集まった。大人は大きなバケツを、子供は小さなバケツを持ち、家との間を何度も往復する。順番を待つ間はみんなでおしゃべり。バケツを持てないような小さい子たちもいて、井戸のそばで遊んでいる。朝の社交場だ。けっこうな重労働だと思うのだが、大変さを感じさせない。みんな楽しそうなのだ。

 以上、なんだかとっても懐かしい感じがした。

0 件のコメント:

コメントを投稿