2019年4月3日水曜日

お金という臆病な生き物

◇ お金の威力
 お金の威力は、あらゆるものの価値を1つの指標で表す点にある。物の価値も、労働力も、土地も、慰謝料も。そして時には人の命までも。もちろん、会社の価値や他の通貨の価値を測る指標でもある。それが株価であり、為替レートである。
 単なる物差しと言えばそうなのだが、あらゆるものの物差しになりうるという点こそがお金の威力である。その点では、お金に変わるものは無い。「たくさんあればいろいろ買える」などというのはおまけにすぎない。

◇ お金という生き物
 お金というものはとても臆病な生き物だ。自分がいつ役立たずになってしまうかもしれない。そうなることを恐れて、いつも逃げ場を探している。自分がいつ無価値なものになり果てるかもわからない。そうならないように、いつも逃げ回っている。
 人がもうけ話に誘われて株価や為替が動くのではない。逃げ回った結果として価格が動くのである。なぜそんなにも臆病なのかというと、実体が無いからだ。

◇ お金という幻想
 お金は要は紙切れに過ぎない。いや、いまどきのお金は紙切れですらない。それは通帳のインクのシミであり、コンピュータを流れる電気信号にすぎない。
 では、なぜ人がそんなものをありがたがるのかというと、そういうことになっているからだ。もう少し正確に言うと、「『そういうことになっている』とみんなが思っている」とみんなが思っているからだ。
 「私は『王様は裸だ』と思う。けれども、他の人は『王様のお召し物は素晴らしい』と思っているようだ」みんながそのように考えれば、「王様のお召し物は素晴らしい」ことになる。同様に「お金はありがたい」のだ。

◇ お金が紙切れになる日
 いつの日にか、お金が紙切れになるとき、すなわちお金が無意味になるときが来るのだろうか。第3次世界大戦が起きたとき? 巨大隕石が地球に衝突したとき?
 そういうことも無いとは言えないが、もう少しありそうな局面は世界的な食糧危機が起きたときだと思う。そのとき人は都会を離れ、食糧生産に励むことになるだろう。そして、食糧が物の価値を測る指標になる。こうしてお金は指標としての威力を失い、逃げ場を失い、幻想が崩れて、紙切れに戻るのである。


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