2020年12月25日金曜日

「格」と「差」の間に

 「差」とは「収入の差」のことだ。あるいは「貧富の差」のことだ。「格差」という言葉を使う人の間で、そこにブレは無かろう。
 では、「格」とは何者か? 「差」といえば十分であるかもしれないのに、なぜ「格」をつけるのか? そこにどんな意味を込めているのか?

 探ってみよう。「格」という文字は「性格、人格、品格、風格」のように使われる。しかし、いずれの使い方においても、「お金」という意味合いはどこにも無い。さて、いかなる理屈で「格」と「差」がつながるのか?
 「教育格差」という言葉もある。その意味は単に「学力の差」ということではない。むしろ焦点は「教育にかけられるお金の差」にある。「貧富の差」が「教育の差」を生んでいるという主張だから、ここでも「格差」はお金と結びついていると考えざるを得ない。
 「格差」という言葉が出てくる発端は、いつもお金の話なのだ。それでいてこの言葉は、人の価値みたいなものを中途半端に匂わせる。説明不足なのだ。 話が飛び過ぎなのだ。だから人を戸惑わせるばかりで、何のヒントも与えない。
 こう言いたいのだろうか? 「収入の差」が「性格、人格、品格、風格」に影響して「人間の格付け」を決める、と。厳しい物言いであるが、「格差」という言葉にそういうニュアンスを感じないわけではない。そして、そういう面もあるのかもしれないな、とも思う。

 でも、それにしても「格」と「差」にはずいぶん開きがある。「収入の差」がいかにして「格の差」になるというのか? 「お金の差」がいかにして「人の格」に作用するのか? その間をもうちょっと埋めてみた方が、事態がよく見えるんじゃなかろうか?


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