2019年3月26日火曜日

娘の読書感想文に驚いた

(2011年11月)

「うれしさのちがい」
わたしは、この話を読んで、第四場面と、おわりの「きらきらわらいだしました。」の意味をずっと考えていました。
 「きらきらわらいだしました。」この文のことでわたしが思ったのは、うれしさのちがいです。ちいちゃんは、ずっと会えなかった、家族に会えたうれしさだと思います。ちいちゃんは、お母さん、お兄ちゃんとはぐれて、3日も一人でごはんも少ししか食べないですごしてきてさびしてくかなしくて、とてもさみしくて
 「いつになったら帰ってくるんだろう?」
 「早く帰って来て!」
と言う気持ちでさいごやっと会えてなきそうなくらいでとってもうれしかったんだと思いました。今の子どもは友だちと遊べて家族と毎日会えてうれしくてわらって、友だちと遊べて、楽しくてわらっているんだと思います。
ちいちゃんと今の子どもたちのうれしさは、だから違うんだと思います。
 今は、もうせんそうはとっくに終って、いい世の中になっています。だけどしんさいで家族を失しなった子や、わかれわかれになった子もいると思います。そういう子たちはちいちゃんと同じ気持ちなのかもしれません。この話をわたしはわすれません。
すばらしい。小学3年生のウチの娘の感想文である。なんていう本かと思ったら、国語の教科書に載っている作品で、国語の時間に書いたのだという(「ちいちゃんのかげおくり」あまんきみこ作光村図書)。ボクも作品を読んでみた。ますます娘の感想文がすばらしいと思った。
 どこがすばらしいって、まず着眼点。それに沿った一貫性しかも無駄がない
 構成でいうと、書き出しと書き終わりの切れ味
 作品の中身と自分の日常を絡めて、最後に震災を持ってくるおませさ

 昨日、学校から先生の花丸マーク付きで持ち帰ってきた。ボクが「花丸、すごいね」と言ったら、娘は「みんな、花丸だよ」と答えた。
 同時に「個人面談の希望日時調査」の紙も手渡された。その紙の最後に(担任にお聞きになりたいこと)という欄があった。
 そこにボクは次のように書いてみようと思う。
娘の感想文にびっくりした。みんなあんなすばらしい感想文を書いているんですか?
娘が嫌がるのはわかっている。いつものことだ。ボクがそう書いても、娘はきっと消しゴムで消すに違いない。
 でも、先生に聞いてみたい。娘が消しても、個人面談のとき聞いてみる。

(※)娘の文章には漢字の送り仮名や改行の仕方に不自然さはあるが、そんなことはどうだっていい。それを手直ししてやっても、良い文章が書けるようにはならない。
 「書くこと=考えること」だから、そんなことに口出ししたら、考えるのを邪魔するだけなんだよ。そんなものは放置すればいいの。放っておけば、そのうちできるようになるさ。

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