けれど多くの場合、それは「他人との交流を避ける」ことにしかならない。お互いの考えが深まることもない。他人の「考え」とはいっても、実体は単なる「好き嫌い」や「思いつき」である場合がほとんどなんだもの。
◇ 論理的に語る
けれどそれができるのは、最後の最後だ。いや、そんなときは永久にやってこないのかもしれない。それができるまで何も発言もしないとしたら、いつまでも何もできない。何も考えることができない。
◇ 正しいことを書く
「客観的で、例外がなく、誰がみても正しいもの」を書こうとする人がいる。だけどそれだったら、書く意味がない。そして読む人にとっても、読む意味がない。正しいこと=当たり前のこと、なんだもの。
・・・と3つばかり並べてみた。
一見どれも立派なことのように聞こえるが、これらは実は「思考をストップさせる要因」に他ならない。せっかく思考の芽が出てきているのに、それを摘み取ってしまっているのだ。
では、どうすればよいか。逆のことをすればよいのである。
◇ 他人の考えに、自分の考えをぶつける
◇ あいまいなまま考え、しゃべり、表現する
◇ 視点を定めて、自分の見方を書く
こんなことを書いているうちに「思考をストップさせる要因」の4つ目も見えてきた。
自分の外にある情報は、自分というフィルターを通して取り込まれ、自分の経験の1つとして蓄積されます。そして他の経験と融合して、やがて自分のものになります。
この方法は、自分の思索のバックボーンを養うにはとても有効な方法です。けれども目の前の具体的な問題解決には、まったく不向きなのです。なぜかというと、
1.個別の問題にジャストフィットする情報に巡り会える可能性が小さい。
2.巡り合えたとしても、自分が理解し会得するまでに時間がかかる。
3.そもそも考えている最中には、
自分が何を考えているのか、何を求めているのかがクリアでない。
からです。では、どうすればいいのでしょうか。
→ ネタは自分の中にある
自分の内なる情報に目を向けることの方が、外の情報を求めるよりもはるかに効果的です。なぜかというと、
1.自分の中には、
これまで生きてきた中で経験し学習し考えたことが無限に蓄積されている。
2.それらが自分の中で融合し、熟成して、飛び出すチャンスを待ち構えている。
3.それらが自分に対して働きかけている。だから、自分はいま考えている。
からです。だから、外の情報を探し求めるより、目を閉じて自分の中を見つめた方がいいんです、きっと。
自分こそがネタの宝庫。最大の情報源は、自分なんです。すぐに外に情報を求めるのは、自分を信用してないってこと。これもまた思考の芽を摘み取ってるだけなんだ。・・・もったいないったらありゃしない。
続いて、話をストップさせるのに効果的な、3つのセリフを紹介します。
このセリフは、あらゆるものを優しく包み込んでくれます。 要するに「何でもアリ」ということですから。何気ないセリフのように見えますが、それまでの話がスムーズにストップします。いかなる分析も、いかなる主張も、吹っ飛んでしまうくらい威力があります。
◇ それって、差別発言ですよ
これは、相手の口の中に饅頭を丸ごと押し込むのと同程度の効果があります。相手は少なくとも3分間は、何もしゃべれないはずです。人がタブー視していることに、報道機関は触れない。それと、同じ原理です。
◇ 以上、わたしの感想です
このセリフは、自分の発言に突っ込みを入れて欲しくないときに使います。相手が冷静なら、「あぁそうですか」しか言えなくなります。それでも突っ込まれたら、1番上に書いたセリフを使いましょう。「まっ、人それぞれですから」と。