☆ アジアのカルスト地形
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☆ 東南アジアのカルデラ
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◇ タール湖とタール火山 (フィリピン)
◇ 火口を見下ろす空の旅 (インドネシア)
◇ マウベシのポウサダ・ホテル(東ティモール)
☆ 台湾の地質
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◇ 堆積と浸食いろいろ
◇ 泥温泉
◇ 湯婆婆的湯屋 など
2019年9月22日日曜日
2019年9月1日日曜日
堆積と浸食いろいろ(台湾)
(2014年夏)
台北からバスで、もしくは電車とバスを乗り継いで1時間ほどの野柳というところに、こんなに面白い地形の場所がある。上に乗っている部分が風化しにくくて、それを支える部分が風化しやすくて、こんな形に残ったということだろう。キノコのようにも見えるし、ハチの巣のようにも見える。他には、岩にめり込んだように見える岩、縦横にきれいに正方形に分かれて網の目のように見える岩など、堆積と浸食のいろんな姿がここにはある。
台北からすぐなのに、日本人観光客は少ない。ツアーバスでやってくる中国人団体客はやけに多かった。
漢字は自由だ(台湾)
(2014年夏)
写真の左上は持ち帰り寿司屋の看板、左下は牛革製品店の看板、右は食堂に貼ってあった紙。いずれも台湾旅行中に見かけたものだ。
左上の写真では「金」を3つ重ねた漢字と「魚」を3つ重ねた漢字を使っている。左下の写真では「牛」を3つ重ねた漢字を使っている。右の写真ではどれもとても複雑な文字だが、最後の文字は「黄金萬」を上下に重ねたように見える。
「金」を3つ重ねると、ずいぶんリッチな気がする。「魚」を3つ重ねると、たくさんの種類の魚があるような気がする。まさか、いわゆる金魚を寿司にしているわけではないだろうが、寿司屋のイメージにはぴったりと言えるかもしれない。
「牛」を3つ重ねるのは、何枚もの牛革をつないだイメージを醸しているのだろうか。人によっては「牛肉を腹いっぱい食う」というイメージを持ちかねないような気もするが、そういう意味ではないらしい。
「黄金萬」は「金」3つよりさらにすごい。「萬」は「万」の旧字体だから、「金貨で一万両」くらいの量だろうか。なにはともあれ、めでたい漢字である。
中国で生まれた漢字は周辺国に伝わって、中国でも周辺国でもそれぞれに進化した。日本では訓読みを当てたり、ひらがなやカタカナに変形したり、日本独自の漢字を生み出したりもした。たとえば「寿司」は音を合わせた当て字で、「鮨」は意味(旨い魚)を込めて作った日本独自の漢字だ。
「金金金」と「魚魚魚」と「牛牛牛」は看板に書くくらいだから、台湾では漢字として認められているのだろう。「黄金萬」が一般に認知されているかどうかは知らないが、意味が分かる人は多いのだろう。
日本と同じく中国・台湾でも英語の単語を使うことが増えているが、日本ではカタカナで表すところを、中国・台湾では結局漢字で書くことになる。たとえばコカ・コーラは中国では「可口可楽」と書く。音を当てながら、すっきりさわやかなイメージを乗せていると言えるだろう。
日本から中国・台湾に伝わった漢字もある。寿司もその例だ。中国本土では日本と全く同じように「寿司」と書き、台湾では旧字体で「壽司」と書く。ところで中国でも台湾でも「鮨」とは書かない。「鮨」では音が合わないか、意味が合わないかのどちらかなのだろう。
日本人が英語を翻訳して作った熟語を中国・台湾でそのまま使うようになったものもある。たとえばコンピュータを中国語で「電子計算机」(機械の「機」ではなくて、「机=つくえ」)と書くが、「電子」も「計算」も日本人が作った熟語だ。ついでながら、台湾でトイレに「男化粧室」、「女化粧室」と書いてあるのを見た。中国本土では使わない表現だと思うが、日本が一時期台湾を統治したことの影響なのだろうと思う。
漢字は音と意味と、そしてイメージを含む。音も意味もイメージも、地域によって微妙に違っていながら、重なっている。漢字には、いつでもどこでも膨らみとズレがある。ネットやメールで使う絵文字も、子供につけるキラキラネームもその文脈でとらえれば、漢字の一つのバリエーションだと言えるだろう。 漢字は自由なのだ。
湯婆婆的湯屋(台湾)
(2014年夏)
ジブリの「千と千尋の神隠し」は台湾では「神隠少女」というタイトルで上映されたようで、台北郊外に「これぞ『湯婆婆的湯屋』だ!」と自称している建物がある(・・・と、つまりそういうことなんだろうと思う)。
台北からバスで、もしくは電車とバスを乗り継いで1時間ほどで九份という街に到達する。太平洋を見下ろす山の中腹に位置する町で、かつて金鉱山で栄えたが、鉱山を閉鎖してから寂れて、最近ではレトロな街並みが人気になっている。
写真はその中の1軒で、確かに「湯婆婆的湯屋」のような趣がある。現在は眺めのいい茶楼として営業しているが、もともと湯屋の設備などはありそうにない。
泥温泉(台湾)
(2014年夏)
台湾に行って台北だけにしか行かないのも片手落ちのような気がして、なにはともあれ台北に着いてすぐに新幹線に乗って南下した。目的地は、台中と台南のちょうど間にある嘉義。そこから山の方に1時間ほど入った温泉に泊まり、嘉義郊外の2つのお寺を見学した。
ここの温泉は泥の温泉、寺は海の神を祀る神社。台北では若者が目立つのに対して、ここではむしろお年寄りが目立った。
☆ 中国水郷古鎮めぐり弾丸ツアー
(2018年GW)
「週末にLCCで行く、台湾食べ歩き弾丸ツアー」みたいなものがあるが、僕の今回の旅行は言うなれば「GWにマイレージで行く、中国水郷古鎮めぐり弾丸ツアー」だ。3泊4日で5ヶ所の水郷古鎮を回った。
行程は「羽田空港 → 上海虹橋空港 → 南潯古鎮 → 烏鎮古鎮 → 西塘古鎮 → 周庄古鎮 → 朱家角古鎮 → 上海浦東空港 → 羽田空港」。旅の荷物はなるべく小さくして、たくさん歩いた。
移動手段についても記録しておこう。「上海虹橋空港 →(高速バス50元)→ 南潯古鎮 →(メータータクシー83元)→ 烏鎮古鎮 →(高速バス27元)→ 西塘古鎮 →(タクシーと交渉して180元)→ 周庄古鎮 →(路線バス6元)→ 朱家角古鎮 →(地下鉄12元)→ 上海浦東空港」。思いのほか古鎮どうしをつなぐバスがあったこと、タクシー料金も割と安かったこと、そんなわけでだいぶスムーズに動けた。
「水郷古鎮なんてどれも同じだろう」というのはちょっと違う。僕は始めに上海から遠いところに行って、だんだんと上海に近づいて行ったわけだが、最初に行った南潯古鎮には地元の人が生活が残っていた。次に行った烏鎮古鎮はきれいに整備された一大テーマパークのようだった。そこから上海に近づいて行くにつれ、西塘古鎮・周庄古鎮・朱家角古鎮はどこも毎日が縁日のようだった。食べ物屋や土産物屋はどこにでもあったが、後半の3ヶ所には射的やお化け屋敷もあった。
今回も Google と facebook はまったく使えなかった。一方 Yahoo!Blog はなんとか使えた(直接 Blog に行こうとするとダメなのだが、Yahoo! のトップページから辿れば使えた)。何が使えて何が使えないかは、中国に行くたびにちょっとずつ違う。
水郷古鎮ごとに記事にまとめました。皆さんにぜひ読んでほしいのは「今の中国のネット事情・スマホ事情・電子マネー事情」がわかるであろう「西塘古鎮」の記事。そして「滅多に泊まれないであろうところに泊まった経験」を記した「朱家角古鎮」の記事。以下のリンクをどうぞ。
夜景の撮り方(水郷古鎮:中国)
2018年のGWに行った中国・水郷地帯の夜景。3泊4日の旅行で5カ所の水郷古鎮を回る日程で、1泊目と2泊目は夕方に移動して日が暮れてから次の古鎮に着いて、3泊目は午後に移動して夕方前に古鎮に着いた。左上と右上は3泊目に泊まった朱家角古鎮、夕方まだ陽がある時間帯の写真である。左下は1泊目に泊まった烏鎮古鎮、右下は2泊目に泊まった西塘古鎮、どちらも陽が暮れてから着いて、その後で撮った。いずれもスマートフォンで撮った写真だが、こうして見ると、夕方まだ陽のあるうちに撮った写真の方がいい感じ。
朱家角古鎮のお宿(中国)
(2018年GW)
その日のホテルを決めずに朱家角古鎮にやってきた。移動手段や所要時間、そして見学時間が読めなかったから。また、古鎮への入退場のルールが古鎮によって違うのと、古鎮内で泊まれるかどうかも古鎮によって違うようなので、行ってみるしかないと思ったから。結果的に今日の午前中に西塘古鎮を回って、昼にタクシーで周庄古鎮へ移動して見学して回って、夕方にバスで朱家角古鎮(写真上左)まで移動してきたというわけだ。
朱家角古鎮にはあるが他の古鎮には無いものは、木造の屋根付きの橋(写真上右)。今日のような雨模様の日には、橋に屋根がかかっているとうれしいものだ。
そんなことより今日のお宿を決めなきゃならない。僕は川に面した古民家に泊まりたいと思っていた。土産物屋や食べ物屋が並ぶ川沿いの路地を歩いていると、店の人に声を掛けられた。「食べていかない? 休んでいかない?」と。僕は店の軒先に「今日有房」の文字を見つけて、指差した。これがそもそもの始まりだった。
店の人の後について着いたところは塀に囲まれた立派な建物。「王○紀念館」と書いてあるではないか(写真中左:永+日の漢字は表示できない)。店の人が鍵を開けて中に入った。建物の1階には「王なんとかさん」の銅像が置いてあったり経歴が掲げてあったりする(写真中右)。なるほど確かに紀念館だ。昼間には一般公開しているのか、それともなんらかの事情で閉めているのか、それはわからない(翌日も結局開けていなかった)。
2階にある二部屋のうち一部屋(写真下左)を使えという。でも泊まり客は僕一人だけだから、部屋の前のリビングスペースも独り占め(写真下右)だ。
この宿泊施設、難点もある。僕が出入りする時だけ玄関の鍵を開けるので、その度に管理人さんに立ち会ってもらわなければならないのだ。僕はスマートフォンを持ってきているが、海外での電話回線の契約はしていないので、電話は通じない。無料の Wifi があるところなら使えるが、管理人さんが使っている中国仕様のメッセージ機能は僕には使えない。というわけで、いちいち時間を約束して、その度に玄関まで来てもらうことになる。
それも含めて、面白い。宿泊料金は320元(≒5000円)。安いんだか高いんだかわからないが、部屋の広さ・希少価値で言えば格安だと思う。
夜一人でいると、お化けが出てくるんじゃないかとか、そんな空想も膨らんで一層楽しい。普通の日本人なら泊まらないだろうな。引いちゃうだろうな。こんな不思議体験ができるのも旅の楽しみ。
緑あふれる周庄古鎮(中国)
(2018年GW)
揚子江下流域の水郷地帯を巡る旅、4ヶ所目は周庄古鎮。旅行3日目の午前中に西塘古鎮を見て回って、昼頃にタクシーでやって来た。180元でタクシーと交渉成立したが、タクシーのメーターによると25kmほどの距離だったから、距離制で払えば半額ほどで済んだのかもしれない。
周庄古鎮は緑が映える。太湖のほとりにあって、大きな川がない代わりに、比較的幅の細い運河が何本も通っている。その日は一日中雨だったが、雨の似合うしっとり感のある街だ。
周庄古鎮で聞いたところ、朱家角へのバス便があるとの情報を得て、思い切って朱家角に向かって朱家角古鎮で宿を探すことにした。朱家角までは路線バスで1時間ほど。料金は6元。そして向かった先の 朱家角古鎮で泊まった宿 が面白かった。
西塘古鎮のIT事情(中国)
(2018年GW)
中国江南地方の水郷古鎮を巡る旅、3つ目は西塘古鎮。前日に烏鎮古鎮を歩いて、その日の夕方に高速バス(27元)で移動して、夜に西塘古鎮に着いた。
さて、出来れば古鎮内の川沿いの古民家に泊まりたかった。けれども、来てみてわかったのだが、外国人は古鎮内には泊まれないという。理由ははっきりとはわからないが、中国で主流のSNS「WeChat」(微信)が絡んでの事情らしい。WeChat には電子マネーの機能(WeChatPay)もあって、飲食や土産物の購入から古鎮への入場料金の支払い、そして入退場の管理も含めて、多くの人が WeChat ですべてやっているのだ。
外国人旅行者は基本的に WeChat を使わない。もちろん僕も使わない。その差は、西塘のバスターミナルに着いた時から始まる。中国人はバスターミナルの一角にあるQRコードをスマートフォンで読み取って、手続き完了。そのまま無料の送迎バスで古鎮に向かう。一方、僕ら外国人は古鎮の入場ゲートまで歩いて移動。そこで現金を支払って、ようやく古鎮に入る権利を得る。
外国人がそこでやらなければならないことがもう一つある。指紋登録である。そのあと何度となく管理区域内に出入りすることになるのだが、同一人物であることを証明するために、ゲートを通るたびに指紋をかざさなければならないのだ。中国人はそこでもスマートフォンを使う。
おそらくはそれに関連しての事情だろうと思うのだけれど、結局のところ僕は古鎮の外で宿を探さなければならなかったわけだ。川沿いの古民家どころか、街中の近代的なホテルである。
さて、西塘古鎮の特徴は、路地にかかった屋根。「煙雨長廊」という素敵な名前がついている。雨の多いところだからなのだろうけれど、そういえば今日も雨。観光するにも屋根があるととても助かる。
縦横に伸びる運河と路地。写真下左は、とびきり狭い路地。写真下右は、とある旧家に掛かっていた掛軸。「知識極誠明」と「道徳為原本」という文面は、学校関係者として何かのネタに使えそうな気がするので記録しておく(「明」の文字は「日+月」ではなく「目+月」だった。「原」の上に点がついていて「がんだれ」ではなくて「まだれ」だった)。
水郷テーマパーク烏鎮古鎮(中国)
揚子江下流域の水郷地帯を巡る旅、2ヶ所目は烏鎮古鎮。烏(う)のように黒い街(鎮)だから烏鎮と呼ぶらしい。確かに瓦と木は黒い。漆喰の壁と石の橋とあわせてもモノトーンの街である。
ここは広い区域が保存(管理)地区になっていて、水郷テーマパークさながらである。古いものを残しつつ、新しいものを取り入れて、おそらくは行政の管理の元、巨大なテーマパークに仕立て上げたというところか。観光客は入場料を支払って、1ヶ所のゲートから出入りする。地区内には高級ホテルから民宿までたくさんの宿泊施設があるが、それも一括管理しているようで、チェックインは地区に入場するときにゲートでする。
イメージとしては東京ディズニー・シーみたいだと言ったらいいだろうか。現地のリアルな歴史と文化に基づいているという点において、東京ディズニー・シーと比較にはならないが、エリア内の管理の仕方や観光客の楽しみ方という点において、共通点があるように思うのである。ちなみに、私は東京ディズニー・シーに行ったことがないが。
入場料と合わせると民宿に泊まっても1部屋1万円以上するが、地区外に泊まって昼だけ来るよりも、夜も朝も地区内にいた方が楽しい。
ここは広い区域が保存(管理)地区になっていて、水郷テーマパークさながらである。古いものを残しつつ、新しいものを取り入れて、おそらくは行政の管理の元、巨大なテーマパークに仕立て上げたというところか。観光客は入場料を支払って、1ヶ所のゲートから出入りする。地区内には高級ホテルから民宿までたくさんの宿泊施設があるが、それも一括管理しているようで、チェックインは地区に入場するときにゲートでする。
イメージとしては東京ディズニー・シーみたいだと言ったらいいだろうか。現地のリアルな歴史と文化に基づいているという点において、東京ディズニー・シーと比較にはならないが、エリア内の管理の仕方や観光客の楽しみ方という点において、共通点があるように思うのである。ちなみに、私は東京ディズニー・シーに行ったことがないが。
入場料と合わせると民宿に泊まっても1部屋1万円以上するが、地区外に泊まって昼だけ来るよりも、夜も朝も地区内にいた方が楽しい。
人々の暮らしが息づく南潯古鎮(中国)
(2018年GW)
昨日の昼前に上海虹橋空港に着いて、隣接する上海虹橋バスターミナルに移動した。烏鎮古鎮内のホテルに予約を入れていたので「烏鎮までのバスはあるか?」と尋ねると「無い」との答え。「上海南バスターミナルに行け」と言われた。そこで烏鎮古鎮の近く(地図で見ると20kmほどの距離)の南潯古鎮を聞いてみた。「南潯へのバスはあるか?」。すると「それなら、ある」との答え。30分後に出発するというからタイミングも良い。それに決めた。バス代は50元(≒900円)。高速道路を進むこと1時間半で着いた。
(下:台車で運んできた荷物を抱えて運ぶお兄さん と 自転車を担いで階段を上がる女子学生)
南潯古鎮を一通り見て、今日のお宿の烏鎮古鎮へ移動。南潯のバスターミナルに向かったが、烏鎮へのバスはすでに終わっていた。そこでタクシーを捕まえた。そもそもこの辺りでは流しのタクシーは走っていないので、バスターミナルみたいなところでないとタクシーは見つからない。メータータクシーで25kmほど走って、80元(≒1500円)ほど。納得のお値段。
烏鎮の宿に着いたのは夜。もともと今回の旅行では水郷地帯をはしごするつもりだったので、ちょうど良かった。
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