2019年8月31日土曜日

そもそも議論とは何なのか?

○ 言論と批判と反論
 ◇ 言論とは、
     ある主張(意見)とその根拠(理由)がセットで掲示されたもの
 ◇ 批判とは、
     言論の根拠の妥当性をチェックすること
 ◇ 反論とは、
     相手の根拠の不備を指摘すること

○ 意見 ← 理由、説得 ← 理由 
 ◇ 理由が言えて、はじめて自分の「意見
     理由がなかったら、単なる「感想」あるいは「思いつき」
 ◇ 説得納得)材料は、理由だけ
     他の方法は、すべて反則技(泣き・脅し・・・)
 ◇ 意見(主張)は、主観であってかまわない
     でも、理由(根拠)には、客観性が無きゃいけない

○ 反論と異論と言いがかり
 「Aである」という論に対して、
 ◇ その根拠を批判して「Aでない」(…とは限らない)と言うなら反論
 ◇ 別の根拠を持ち出して「Aでない」と言うのは異論
 ◇ 批判もせず、根拠も示さずに「Aでない」と言うのは言いがかり

 反論であれば議論になるが、異論であれば平行線。言いがかりは消耗です。

○ 議論の目的
 ◇ 自分(他人)の考えをくっきりさせる
     視点(立場)が異なれば、見え方(景色)が異なる
 ◇ 自分と相手の考え方の違いをくっきりさせる
     どこが同じで、どこが違うのか?
 ◇ いろんな見方・とらえ方・考え方を取り込む
     「どっちが正しいか?」を争う必要はない

○ まとめ
 ◇ 意見(主張)には必ず理由(根拠)を添える
     それが無ければ、単なる感想・思いつき
 ◇ 反論のターゲットは、相手が挙げた根拠(理由)
     相手の主張(意見)に直接向けてはならない
 ◇ 議論の目的は、ぼんやり→くっきり
     自分(相手)の考え方、お互いの考え方の違い

☆ なぜエグゼルは有害か

(2019年1月)

 なぜエグゼルは有害か。

 まず、どんなことであれ、いろんな見方が可能だ。視点の当て方で見え方が変わる。ある一面から見ることで、見えるものがある。論の立て方で結論も変わる。もちろん違う見方もできる。論を立てるときの条件を変えれば、異なる結論に至ることもある。
 ブログの記事は、ある人の特定の見方を表したものだ。そこにエグゼルは異なる見方を持ち込む。けれども、それは元の記事とは全く別の論なので、かみ合うとは限らない。別の論は、別の場所で立てるべきだ。そう、エグゼルは自分のブログで自分の論を立てるべきなのだ。
 ところでエグゼルが他の人のブログに持ち込むものは、まともに論として成り立っているものではない。彼の主張だけを、ろくに説明もせず、罵声とともに持ち込む。だから彼は有害なのだ。

 次に、新しい考え方は、新しいものの見方・新しい論の立て方から生まれる。こうして人の考え方・感性が深化・進化する。そしてそれは必然的に一般的な考え方・常識とはいくらか異なるものになる。
 エグゼルはこうした記事を見つけると、ただただ否定する。「一般的なものと異なる。だから間違いだ」と彼は言う。「一般的なものと異なる」ことは記事を書いた当人には自明のことで、だから書く価値があるのだが、それだけを根拠に彼は記事を否定するのだ。
 だからエグゼルがコメントしてきても、かみ合うはずがない。彼に彼の考えがあるなら彼のブログで展開すれば良いのだが、彼は他人の記事を否定するためだけにコメントするのだ。常識だけを根拠に、悪態をつきながら罵声とともに。こうして彼は新しい考えを潰そうとする。だから彼は有害なのだ。

 それでも多くのブロガーは彼に対して、自説の補足説明をしたり、彼の言動をたしなめたりと対応する。ところが、エグゼルはいつまでもコメントを繰り返す。2度3度までなら一応の対応をしても、それを何十回・何百回も続けることはできない。そして多くの場合、彼のコメントを削除する。彼のコメントが迷惑だからだ。有害無益だからだ。
 やがて彼のコメントは脅迫へと変わっていく。しばしば彼は内緒コメントを使う。ここに至って彼の行為は、迷惑行為から犯罪行為と見なせるものになる。

 この記事にエグゼルがコメントしてくるとしたら、次のような展開になるだろう。
・「エグゼルは有益だ」という主張  ← それが言いたいなら、エグゼルのブログでやれ。
・「この記事は間違いだ」という主張 ← 記事をしっかり読め。十分説明してある。
・ 同じ主張の繰り返し       ← 削除(冷静な反応をしてきたら、しばらくは応対する)
・ 脅迫              ← 削除(場合によっては証拠保全する)

 エグゼルくん、ネット社会から去るなら今がチャンスだよ。多くの人がそれを期待しているんだ。このチャンスを逃さないでね。


《関連記事》
◇ バカをあぶり出す方法
◇ プロポーズとストーカーの境い
◇ エグゼル氏の偏差値とIQはいくつなのか?
◇ 劣等感は優越感では埋まらない
◇ エグゼル氏の論の立て方と行動パターン
◇ エグゼル流、議論術
◇ そもそも議論とは何なのか?

バカをあぶりだす方法

(2019年1月)

放っておけ。そのうち勝手にボロを出す。


・・・昨日の記事 にエグゼル氏が寄こした内緒コメント。しっかりボロを出した。


 「殺した」がどんな意味であれ、これだけで立派な犯罪だ。
 また彼は続く内緒コメントでこう書いた。


 具体的な手口を彼は白状した。
 そして何度も彼が書いているように、彼の希望は「昨日の記事 の閉鎖」。お断りだ。

プロポーズとストーカーの境い

(2019年1月)

3回目まではプロポーズと言えても、4回目からはストーカーと見なされる。

・・・エグゼルくん、君はすでに犯罪者なのだよ。そういう認識でいてくれ。


《関連記事》
◇ エグゼル氏の偏差値とIQはいくつなのか?
◇ 劣等感は優越感では埋まらない
◇ エグゼル氏の論の立て方と行動パターン
◇ エグゼル流、議論術
◇ そもそも議論とは何なのか?

エグゼル氏の偏差値とIQはいくつなのか?

(2013年7月)

 昨日の記事「劣等感は優越感では埋まらない」に、ボクはエグゼル氏の内緒コメントを掲載した。
> エグゼルは視野も広いし、知識も豊富だし、なにより偏差値、IQが高いのだ。
> 神童と呼ばれた者が更に勉強したからだ。[2013/7/17(水) 午前 8:48 エグゼル ]
エグゼル氏からコメントが入って、やり取りした。
で、結局、偏差値いくつなの?
IQ は?
                [2013/7/17(水) 午後 10:42 omori ]

個人情報だ。明かすわけにはゆかないのだ。[2013/7/17(水) 午後 10:43 エグゼル ]

じゃぁせめて、偏差値については、母集団を、IQ については、対象年齢を教えてよ。それだったら個人情報じゃないから、いいでしょ。[2013/7/17(水) 午後 10:46 omori ]

バカか。
そんなことネットで書くことじゃねえ。
 [2013/7/17(水) 午後 10:47 エグゼル ]

あれっ?
もしかして、偏差値とIQ の意味、分かってる?
 [2013/7/17(水) 午後 10:50 omori ]
ここまで進んだ時点で、エグゼル氏は彼自身が書いたコメントをすべて消した。
こうして、エグゼル氏の偏差値と IQ について結局なにもわからずじまい。ザンネン。。。

劣等感は優越感では埋まらない

(2013年7月)

エグゼル氏の内緒コメントである。おそらく本気でそう思っているのだろう。
> エグゼルは視野も広いし、知識も豊富だし、なにより偏差値、IQが高いのだ。
> 神童と呼ばれた者が更に勉強したからだ。[2013/7/17(水) 午前 8:48]
そして彼は、彼がよく「知っている」こと、彼が「正しい」ことを何度も繰り返す。
> 論理学を知らずに、知っているエグゼルを間違っていると誹謗していたのだ。[2013/7/16(火) 午後 9:51]
> 君よりもエグゼルのほうが論理学を正しく認識していることは・・・判明した。
> よって、・・・君の記事(コメ)は誹謗・中傷にあたる。[2013/7/16(火) 午後 11:35]
そして、こうも言う。
> Yahooブロガーのすべての「間違った」文章を論理的に指摘できるのだ。[2013/7/17(水) 午前 8:48]
> とある人が言ったのだ。
> 「Yahooブログ界きっての論客」とエグゼルを指して。[2013/7/16(火) 午前 9:06]
彼の劣等感の現れだとボクは思う。

さて、彼が何度もコメントしていることについて、

  • 彼は、彼の理解の仕方だけを「正しい」と言い、他のものを「間違い」と言ってるにすぎない。
  • 彼の考えに合わない考え方を提示することは、誹謗・中傷には当たらない。
  • 罵言雑言とマナー違反を交えながら同じコメントをいつまでも続ける彼のやり方は、有害だ。

これですべて言い尽くしている。

彼の有害さを示す資料をあと2つ示そう。
> 謝罪しないかぎりエンドレスだ。 [2013/7/17(水) 午前 1:45]
> エグゼルの真の怖さを味わえ。下衆め。[2013/7/17(水) 午前 1:22]
これをもって、エグゼル氏を変質者と認定する。

エグゼル氏の論の立て方と行動パターン

(2012年10月)

 彼はまず罵言雑言とともに相手の論をただ否定する。これは反論にはなっていないし議論にもならないのだが、彼は同じコメントを何度でも繰り返す。

 彼にどんな説明をしても無駄だ。話をすり合わせようという意思が彼に無いからである。彼は反論や議論が何たるかを知らないし、もともと彼は相手を否定して屈服させるのが目的だから、相手の説明を無視したり論点を適当にすり替えたりするだけで、コメントが延々と続くことに変わりはない。そのコメントに書かれている内容はといえば、罵言雑言と「相手の論が間違いだ」という彼の主張ばかりだ。相手がすでに説明済みのことでも、同じコメントをいつまでも繰り返す。

 それでも相手が屈服しないと、彼は次の行動に出る。
    ○ 公開・非公開コメントを使っての脅し
    ○ 無関係な他の記事へのコメント
    ○ 他人の名を語ってのコメント

 最初は「議論できない人だな、迷惑な人だな」と思っていたが、ここまでくると彼を「変質者」とみなすしかない。
 彼がボクに寄こした内緒コメントの1つは、

> 上記コメを消すなよ。
> もし消せば、永久に同コメを君の新記事に貼り付けることが可能だ。[2012/10/24(水) 午後 3:30]

である。そして現に似たようなことをしている。
 脅しと連続コピペ投稿は redpurge 氏も同じだが、redpurge 氏は他人の名を語ってコメントすることはない。彼が redpurge 氏と同じようにその行動を何年間も続けるかどうかは、今の時点ではわからない。

エグゼル流、議論術

(2012年11月)

「Aである」という論に対して、
その根拠 を批判して「Aでない」(Aであるとは限らない)と言うなら 反論
別の根拠 を持ち出して「Aでない」と言うのは 異論
批判もせず、根拠も示さず に「Aでない」と言うのは 言いがかり
批判や反論であれば 議論 になるが、異論であれば 平行線 。言いがかりは 消耗 です。


 エグゼル氏はまず相手の論をただ否定する。これは 反論 ではなく、言いがかり である。たとえば、彼の
◇ デカルトは自己中心主義ではない。よって、お前の記事は間違いだ。
という主張がそれにあたる。ボクは記事に「デカルトの立場を自己中心主義と呼ぶことができる」と書いていて、それがボクの結論なのだから、彼の論は結局ボクの記事の結論をただ否定しているにすぎない。あるいは、
◇ 円安によって国際競争力が増す。よって、お前の記事は間違いだ。
も同じだ。ボクは「円安によって国際競争力が増すための条件」について考察して、「それが増す場合と増さない場合」を分けて論じたのだから、彼はボクの論をまるごと否定しているに等しい。
 そして、ボクが挙げた根拠に一切触れず、彼がそう考える根拠も一切示さないのだから、言いがかり なのだ。

 次にエグゼル氏は、記事に書いていないことを持ち出して、相手の論を否定する。たとえば、
◇ デカルトは人間理性を論じた。よって、お前の記事は間違いだ。
その主張は記事には無関係であって、これを組み立てて出来上がるのはせいぜい 異論 である。ボクの視点とは全く異なる、彼の論が出来上がるだけの話だ。もちろん、これも 反論 ではない。
 ところで、彼はたくさんの罵言雑言に交えてそれを中途半端に言うだけで、実際には異論にもなっていない。異論に組み立てて展開するならそれはそれで結構なのだが、彼にはそれをするだけの能力も無い。

他には、
◇ お前はデカルトを読んでない。よって、お前の記事は間違いだ。
◇ お前は経済学を学んでいない。よって、お前の記事は間違いだ。
のような主張もあるが、これを 異論 に組み立てることは出来そうにないから、言いがかり にしかならないだろう。もちろんこれも記事に無関係なことなので、「Yes」や「No」を答える必然性も無い。

 エグゼル氏の主張はこんなものばかりだ。だから、ボクは彼に次のように伝えた。まず全般的に言えることは、
□ 反論 になってない。
言いがかり に対しては、
□ それがあなたの考えなのね。
精一杯前向きに応えて、ここまでだ。中途半端な 異論 に対しては、
□ あなたのブログでやれ。
それ以上言うことは何も無い。ボクはそのように応えた。



 さて、世の中にはエグゼル氏のコメントが議論になっていると思っている人が相当数いるようだ。ボクは、これから世に出る若者たちにはきちんと議論できる人になってもらいと願っている。そして、そのために少しでも力になろうとあれこれ考え、形にしようとしているところである。

2019年8月29日木曜日

人はなぜゴキブリをあんなにも嫌うのか?

 黒い(黒光りしている)から? いや、それは違うだろう。黒いものが嫌いなら、カブト虫やクワガタが愛されるはずがない。
 有害(不衛生)だから? いや、それも違うだろう。それはハエや蚊やクモに比べてゴキブリが特に嫌われる理由にならない。
 丸い(楕円形)から? いや、それもあり得ない。てんとう虫やウサギの尻尾が嫌いだという話もあまり聞かないではないか。
 さて、ゴキブリにだけある特徴はなんだろう? ゴキブリが特に嫌われる理由は、そこにこそあるのではないか。

 そんなふうに考えて思い至ったことが一つだけある。ゴキブリの運動神経だ。人が手で叩こうにも、直前まで平然とそこに居て、手に触れる寸前のところでヒョイと身をかわす。何度やってもその度に逃げられて、そしてゴキブリは平然とその辺りに居続ける。
 その運動神経を人は恐れるのではないか。同時に人はゴキブリにバカにされているように感じるのかもしれないが、運動神経という点において、人はゴキブリに勝ち目が無い。一度追いかけてみれば分かることだ。
 人を舐めたような顔でそこに居て、やっつけようにも徒労に終わり、人に無力感を味わわせる。それがゴキブリ。人とは比べ物にならないくらい優れた運動神経のなせる技である。その能力は、他の虫たちよりも抜きん出ている。
 仮説であるが、それ故に人はゴキブリがあんなにも嫌いなんじゃないだろうか。私には他に理由が思いつかないのだが、いかがだろうか。

ボケの効用

○ 死ぬのが怖くなくなる。 
○ お金の心配、先の心配をしなくなる。 
○ 生きていることに引け目がなくなる。 

ボケの特効薬は悪魔の薬か?

☆ ベトナム北部の市場それぞれ

 ベトナム北部山岳地帯の街や村では毎週1回、市が立つ。

◇ バックハー:多様な少数民族が入り乱れて見た目鮮やか。日曜市。 
 (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_422.html
◇ サパ   :日用品というより珍しい商品が並んでいる。日曜市。 
 (→ https://omori555.blogspot.com/2019/08/blog-post_25.html
◇ カンカウ :若い女性が民族衣装で目一杯おしゃれして。土曜市。 
 (→ https://omori555.blogspot.com/2019/03/blog-post_74.html

 毎日どこかで市が立つので、1週間滞在してあちこち出かけよう。

2019年8月25日日曜日

サパの市場(ベトナム)

ベトナム北部の山岳地帯、サパの市場で並んでいた商品の数々。
  • 蜂蜜:バケツの中には蜂蜜たっぶりの蜂の巣が入っている。(写真左上)
  •  芋  :形や大きさが不揃いなのが自然の産物っぽくて良い。(写真左下)
  •  藍  :藍染の原料。民族衣装を作るのに欠かせない一品だ。(写真右下)
  • 乾物:単品でも売っているが、これは袋詰めの盛り合わせ。(写真右上)
  • 犬肉:丸焼きもあり。美味いか不味いか、高いか安いかは不明。(中央)
サパは一大観光地だが、ここには意外と観光客が少ない。狙い目かも。


 ちなみにベトナムの国旗はこう(→    )です。乾物の袋の中の白い星型(ヒトデ?)はぴったりマッチしていますね。その上に見える動物の皮っぽいものは尻尾を入れると六角形だから、惜しくもベトナムの国旗とは微妙にズレています。でも、効きそう。

2019年8月23日金曜日

サパで合宿(ベトナム)

 先々週はラオスにいたが、一旦家に帰って1週間ほどして今度はベトナムにやってきた。ラオスで行ったのは北部のルアンナムター、ベトナムでやってきたのは北部のサパ。実は割と近い場所で、どちらも少数民族が多く住む山岳地帯だ。ここサパの標高は1500m、快適だ。


 ラオスへは1人で行ったが、今回は娘と一緒。ところで、娘は「勉強する」と言い張ってホテルの部屋に引きこもっていて、おかげで僕も仕事がはかどっている。もともと娘を連れ出す口実に「勉強合宿、仕事合宿しないか?」と誘ったのは僕だが、それにしてももうちょっと一緒に遊ぼうぜと言いたくもある。

2019年8月13日火曜日

☆ ラオスが好き!

 2019年の春と夏に立て続けにラオス北部に行ってきました。次の春にも行きたいと考えているところです。

◇ 竹の橋 
◇ アカ族の村に泊まる 
◇ 蟻玉と蜂玉と根っこ玉 
◇ 木登り(子供編) 
◇ 木登り(大人編) 
◇ 少数民族の村で積分講義 
◇ ボーテン(中国・ラオス国境)  ◇ 川の侵食と堆積 
◇ ラオスの神は森にいる 

 ラオスを訪れるには多くの場合ビエンチャン経由になるのだが、さてビエンチャンで毎度毎度なにをやるかは考えどころ。

◇ セター・パレス・ホテル 
◇ パトゥーサイ 

 ルアンパバーンには15年前に行って、それっきり。

2019年8月12日月曜日

蟻玉と蜂玉と根っこ玉(ラオス)

 ラオス北部の森に1泊2日で入り込んだ。
 写真左は蟻玉。葉っぱの中には蟻が詰まっている。熱帯雨林のジャングルでは土の中ではなくて、葉っぱの中に巣を作るということか。
 写真中は蜂玉。蜂の巣なんだろうけれど、表面にもびっしりと蜂が張り付いている。中には美味しい蜜があるらしいが、手を出すのは危険だとガイドさんは言う。
 写真右は根っこ玉。大木を支える幹のように見える部分、大木にまとわりつく蔦のように見える部分はすべてこの大木の根だと言う。樹齢は千年だとか。


 夏で雨季の森の中はサウナの中にいるみたいだが、この季節ならではのものもあったはずだ。ドリアンかじりながら歩けるのも、この季節だけだ。

2019年8月10日土曜日

ムアンシンをチラ見する(ラオス)

 ラオス北部のルアンナムターからモーター・バイクに乗って中国との国境ボーテンまで行った翌日に、またまたモーター・バイクで今度はムアンシンの方に行ってみました。ルアンナムターよりさらに奥まったところにある街で、中国・ミャンマーとの国境に近いエリア(かつての呼び名で言うとゴールデン・トライアングル)です。ルアンナムターからムアンシンまでは片道58km、道すがらいくつかの村を見学しながら、片道2時間ほどの道のりです。
 さて、ムアンシンから10kmほどのところに、前日に行ったボーテンとは別の中国との国境があります。せっかくムアンシンまできたからと、ついでに僕はそこまで足を伸ばしました。そこは外国人は通れないけれど、中国人・ラオス人は通れます。前日に行ったボーテンが外国人も通れるのと比べると、よりローカルな国境です。(写真右)

 そこでわかったこと。僕なりの予測を交えて書きますね。
 かつてのボーテンのいかがわしさは、ボーテンの開発と連動する形でムアンシンの方に移動しているみたいです。そこを通って中国人が物価の安いムアンシンに遊びに来るわけです。ムアンシンには中国人向けのホテルが何軒もありました。僕が普段使っているホテル予約サイトでは全く出てこないホテルです。
 中国人はそこで何をするか。そんなことは僕にはわかりませんが、次回のラオス旅行でムアンシンに泊まれば、その辺の事情が見えてくるでしょう。僕がムアンシンに泊まる目的は少数民族の村訪問ですが、民族的には大きく違わない中国・雲南省からそれを目的にやってくるとは考えにくいと思うのです。


 ムアンシンからルアンナムターへの帰り道、道路脇で村人がにわかマーケットを開いていました。タケノコやキノコやフルーツにナッツの類、その日に森で採れた食材を並べています。(写真左)
 それはそうと、半そで・半ズボンで2日間モーター・バイクに乗っていたせいで、もものおもて面・下半分がヒリヒリ痛い。数日後にはムズムズ・ボロボロになりそうです。

2019年8月9日金曜日

ボーテン(中国・ラオス国境)

 今日はモーターバイクを借りて、ルアンナムターから中国との国境のボーテンまで行ってきた。山の中に突然工事中のビル群が現れる。ボーテンの街をフリーポート(免税都市)にするための工事だ。
 展示場なるものがあったので中に入ってみた。完成したときの街並みの模型があったり、中国の昆明からタイのバンコクまで鉄道・道路が通じる未来像を描いていたりして、とても華やかな印象だ。中国人のフリして、マンション投資するような顔して、いろいろ見てきた。出稼ぎの中国人労働者に見えたかもしれないが。
 ラオス国内でありながら、建設労働者の多くは中国人で、キープ(ラオスの通貨)よりも元(中国の通貨)が通じる。明らかに中国主導なのだが、それでもラオスにもおこぼれはあるはずだ。5年もすればだいぶ出来上がって、もしかしたらとてもホットな場所になっているかもしれないな。
 おそらくカジノ(中国人の富裕層向け)とかもできるのだろう。税関の建物は出来ていて、すでに稼働していた。荷物を満載した大型トラックが列をなして進んでいくので、砂埃だらけだ。ボーテンに至る道すがら、鉄道の建設工事も進んでいて、すべては中国の「一帯一路」の一環なのである。

2019年8月8日木曜日

アカ族の村に泊まる(ラオス)

 ラオスのルアンナムターから1泊2日のジャングル・ツアー(トレッキング&村に宿泊)に出かけた。泊まったのは、標高1300mの尾根伝いに広がるアカ族の村(Phouvanh village)。


 ところで、今の季節は夏で雨季。暑いし雨が降るしで、ここルアンナムターはシーズン・オフです。というわけで、ツアー参加者は僕一人。ガイドさんとマン・ツー・マンの旅でした。
 ガイドさんのお仕事は一緒にジャングルを歩くばかりではなく、1日目の夕食と2日目の朝食・昼食と3度も食事を作ってくれました。村人と同じように水場から水を運び、村で買った鶏をさばいて、火をおこして薪で調理するわけです。
 さすがカムー族のお兄ちゃん、手際が良い。子供の頃からやっていることだと言っていましたが、それにしても大変な作業です。しかも僕一人のためにやっているわけです。そこまでしてもらって1泊2日で US$110 はなんだか申し訳ないというか。。。

 少数民族の村は昼間に訪れるより、泊まるといろいろ見えてきます。次回はまた他の村に泊まってみたいと考えているところです。

2019年8月7日水曜日

ラオスの木登り(子供編)

 ラオスのルアンナムターから1泊2日のジャングル・ツアー(トレッキング&村に宿泊)に出かけた。泊まったのは、標高1300mの尾根伝いに広がるアカ族の村(Phouvanh village)。そこでの光景です。

 まっすぐに伸びた木の幹を子供たちがスルスルと登っていく。あっち(写真上右)でも、こっち(上左)でも。足を掛けるところが見当たらなくて、僕がやってみたが1秒も木にしがみついていられなかった。
 女の子も登る(下右)。男の子よりは多少控えめだが、就学前の女の子も屈託なく登っていく。
 下左で木に登っているのは、実は僕です。大木に巻きついた木だか蔓だか根っこだかが足場になって、こちらは登りやすかった。


 ラオスの山の中であろうと日本の街中であろうと重力加速度は 9.8m/s2 で同じはず。その力は子供にも大人にも等しく働く。計算上はそういうことだ。また同じホモ・サピエンスだから、多少の個人差はあるにせよ、体の構造は変わらない。アカ族の子供にできることが、日本の子供にできないはずはない。
 さて、アカ族の子供たちと日本の子供たちの違いはなんだろう。それについていろんな言い方ができるだろうけれど、僕は次の1点を挙げたい。それは、
木に登ったとき、「危ない」とか「気をつけて」とか「降りなさい」とか、誰にも言われないこと
日本でこれをやったら、大人たちは口をそろえて「危ないから、やめなさい」と言うに違いない。ところが、アカ族の子供たちに対しては誰もそんなことを言わない。その差だけなのかもしれないな、と。
 僕が木に登ったら、ガイドさんが言った。「Be careful!」(気をつけろよ)。余計なこと言うな。その言葉が日本人を木登りできない民族にしちゃったんじゃないか。そう思いながら、もっともっと上まで行けそうだったが、これくらいで引き下がった。

 ラオスの木登り「大人編」は こちら をどうぞ。