(2019年1月)
なぜエグゼルは有害か。
まず、どんなことであれ、いろんな見方が可能だ。視点の当て方で見え方が変わる。ある一面から見ることで、見えるものがある。論の立て方で結論も変わる。もちろん違う見方もできる。論を立てるときの条件を変えれば、異なる結論に至ることもある。
ブログの記事は、ある人の特定の見方を表したものだ。そこにエグゼルは異なる見方を持ち込む。けれども、それは元の記事とは全く別の論なので、かみ合うとは限らない。別の論は、別の場所で立てるべきだ。そう、エグゼルは自分のブログで自分の論を立てるべきなのだ。
ところでエグゼルが他の人のブログに持ち込むものは、まともに論として成り立っているものではない。彼の主張だけを、ろくに説明もせず、罵声とともに持ち込む。だから彼は有害なのだ。
次に、新しい考え方は、新しいものの見方・新しい論の立て方から生まれる。こうして人の考え方・感性が深化・進化する。そしてそれは必然的に一般的な考え方・常識とはいくらか異なるものになる。
エグゼルはこうした記事を見つけると、ただただ否定する。「一般的なものと異なる。だから間違いだ」と彼は言う。「一般的なものと異なる」ことは記事を書いた当人には自明のことで、だから書く価値があるのだが、それだけを根拠に彼は記事を否定するのだ。
だからエグゼルがコメントしてきても、かみ合うはずがない。彼に彼の考えがあるなら彼のブログで展開すれば良いのだが、彼は他人の記事を否定するためだけにコメントするのだ。常識だけを根拠に、悪態をつきながら罵声とともに。こうして彼は新しい考えを潰そうとする。だから彼は有害なのだ。
それでも多くのブロガーは彼に対して、自説の補足説明をしたり、彼の言動をたしなめたりと対応する。ところが、エグゼルはいつまでもコメントを繰り返す。2度3度までなら一応の対応をしても、それを何十回・何百回も続けることはできない。そして多くの場合、彼のコメントを削除する。彼のコメントが迷惑だからだ。有害無益だからだ。
やがて彼のコメントは脅迫へと変わっていく。しばしば彼は内緒コメントを使う。ここに至って彼の行為は、迷惑行為から犯罪行為と見なせるものになる。
この記事にエグゼルがコメントしてくるとしたら、次のような展開になるだろう。
・「エグゼルは有益だ」という主張 ← それが言いたいなら、エグゼルのブログでやれ。
・「この記事は間違いだ」という主張 ← 記事をしっかり読め。十分説明してある。
・ 同じ主張の繰り返し ← 削除(冷静な反応をしてきたら、しばらくは応対する)
・ 脅迫 ← 削除(場合によっては証拠保全する)
エグゼルくん、ネット社会から去るなら今がチャンスだよ。多くの人がそれを期待しているんだ。このチャンスを逃さないでね。
《関連記事》
◇ バカをあぶり出す方法
◇ プロポーズとストーカーの境い
◇ エグゼル氏の偏差値とIQはいくつなのか?
◇ 劣等感は優越感では埋まらない
◇ エグゼル氏の論の立て方と行動パターン
◇ エグゼル流、議論術
◇ そもそも議論とは何なのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿