(2012年11月)
「Aである」という論に対して、
その根拠 を批判して「Aでない」(Aであるとは限らない)と言うなら 反論 。
別の根拠 を持ち出して「Aでない」と言うのは 異論 。
批判もせず、根拠も示さず に「Aでない」と言うのは 言いがかり 。
批判や反論であれば 議論 になるが、異論であれば 平行線 。言いがかりは 消耗 です。
エグゼル氏はまず相手の論をただ否定する。これは 反論 ではなく、言いがかり である。たとえば、彼の
◇ デカルトは自己中心主義ではない。よって、お前の記事は間違いだ。という主張がそれにあたる。ボクは記事に「デカルトの立場を自己中心主義と呼ぶことができる」と書いていて、それがボクの結論なのだから、彼の論は結局ボクの記事の結論をただ否定しているにすぎない。あるいは、
◇ 円安によって国際競争力が増す。よって、お前の記事は間違いだ。も同じだ。ボクは「円安によって国際競争力が増すための条件」について考察して、「それが増す場合と増さない場合」を分けて論じたのだから、彼はボクの論をまるごと否定しているに等しい。
そして、ボクが挙げた根拠に一切触れず、彼がそう考える根拠も一切示さないのだから、言いがかり なのだ。
次にエグゼル氏は、記事に書いていないことを持ち出して、相手の論を否定する。たとえば、
◇ デカルトは人間理性を論じた。よって、お前の記事は間違いだ。その主張は記事には無関係であって、これを組み立てて出来上がるのはせいぜい 異論 である。ボクの視点とは全く異なる、彼の論が出来上がるだけの話だ。もちろん、これも 反論 ではない。
ところで、彼はたくさんの罵言雑言に交えてそれを中途半端に言うだけで、実際には異論にもなっていない。異論に組み立てて展開するならそれはそれで結構なのだが、彼にはそれをするだけの能力も無い。
他には、
◇ お前はデカルトを読んでない。よって、お前の記事は間違いだ。のような主張もあるが、これを 異論 に組み立てることは出来そうにないから、言いがかり にしかならないだろう。もちろんこれも記事に無関係なことなので、「Yes」や「No」を答える必然性も無い。
◇ お前は経済学を学んでいない。よって、お前の記事は間違いだ。
エグゼル氏の主張はこんなものばかりだ。だから、ボクは彼に次のように伝えた。まず全般的に言えることは、
□ 反論 になってない。言いがかり に対しては、
□ それがあなたの考えなのね。精一杯前向きに応えて、ここまでだ。中途半端な 異論 に対しては、
□ あなたのブログでやれ。それ以上言うことは何も無い。ボクはそのように応えた。
さて、世の中にはエグゼル氏のコメントが議論になっていると思っている人が相当数いるようだ。ボクは、これから世に出る若者たちにはきちんと議論できる人になってもらいと願っている。そして、そのために少しでも力になろうとあれこれ考え、形にしようとしているところである。
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