2021年1月6日水曜日

鯖江は眼鏡だけじゃない

(2018年12月21日)
 羽田空港国際線の出国審査を抜けた正面に僕が生まれた辺りの商品が並んでいた。僕が生まれたのは福井県鯖江市。学校で習う知識としては、鯖江と言えば眼鏡。でもね、鯖江は眼鏡だけじゃないぞ。漆器もある。
 聞くところによると、鯖江を中心とする福井県一帯で業務用漆器のシェアが8〜9割を占めるという。業務用というのは具体的に言うと、牛丼屋などで使っている味噌汁用のお椀だ。食器洗い機・乾燥機などに入れてガンガン使っても大丈夫なもの。高級品というより、むしろ大衆品だ。
 でも、ここに並んでいるのはきっと高級品。先日漆器工場を訪ねたとき、そこの人が言っていた。「高級品と大衆品の両方あるから仕事が成り立つ。どちらか片方では安定して続けるのは難しい」。


 他にもあるぞ。鯖江市ではないが、隣の越前市の 刃物 。先日工場見学に行ったときの話によると、洋食用ナイフは注文してから4年待ちだとか。
 もうすぐフライトが出るので、のんびり書いてはいられない。続きは後で。これから社会に出る若い人に伝えたい話だ。マレーシアで書けるかな。

2021年1月2日土曜日

☆ アジアの米作りの現在・過去・未来

 外務省のサイトに「kid's 外務省」というコーナーがあって、その中に「米の生産量の多い国(モミ量)」のランキング(2018年)が載っている。
順位国名生産量(トン)
1中華人民共和国(中国)2億1,212万9,000
2インド1億7,258万
3インドネシア8,303万7,000
4バングラデシュ5,641万7,319
5ベトナム4,404万6,250
6タイ3,219万2,087
7ミャンマー2,541万8,142
8フィリピン1,906万6,094
9ブラジル1,174万9,192
10パキスタン1,080万2,949
13日本972万7,500
  ◇ 棚田が耕作放棄地になってしまう未来(ベトナム) 
   (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_14.html
  ◇ ミャンマーでこしひかりプロジェクト 
   (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_32.html
  ◇ ミャンマーの村で一晩過ごす 
   (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_71.html

 ところで、コメって意外とバランス栄養食なんですよ。

2020年12月29日火曜日

思考をストップさせる3つの要因

◇ 他人の考えを尊重する
 けれど多くの場合、それは「他人との交流を避ける」ことにしかならない。お互いの考えが深まることもない。他人の「考え」とはいっても、実体は単なる「好き嫌い」や「思いつき」である場合がほとんどなんだもの。

◇ 論理的に語る
 けれどそれができるのは、最後の最後だ。いや、そんなときは永久にやってこないのかもしれない。それができるまで何も発言もしないとしたら、いつまでも何もできない。何も考えることができない。

◇ 正しいことを書く
「客観的で、例外がなく、誰がみても正しいもの」を書こうとする人がいる。だけどそれだったら、書く意味がない。そして読む人にとっても、読む意味がない。正しいこと=当たり前のこと、なんだもの。

・・・と3つばかり並べてみた。
 一見どれも立派なことのように聞こえるが、これらは実は「思考をストップさせる要因」に他ならない。せっかく思考の芽が出てきているのに、それを摘み取ってしまっているのだ。

 では、どうすればよいか。逆のことをすればよいのである。
     ◇ 他人の考えに、自分の考えをぶつける
     ◇ あいまいなまま考え、しゃべり、表現する
     ◇ 視点を定めて、自分の見方を書く

 こんなことを書いているうちに「思考をストップさせる要因」の4つ目も見えてきた。

◇ 外に情報を求める
 自分の外にある情報は、自分というフィルターを通して取り込まれ、自分の経験の1つとして蓄積されます。そして他の経験と融合して、やがて自分のものになります。
 この方法は、自分の思索のバックボーンを養うにはとても有効な方法です。けれども目の前の具体的な問題解決には、まったく不向きなのです。なぜかというと、
   1.個別の問題にジャストフィットする情報に巡り会える可能性が小さい。
   2.巡り合えたとしても、自分が理解し会得するまでに時間がかかる。
   3.そもそも考えている最中には、
       自分が何を考えているのか、何を求めているのかがクリアでない。
からです。では、どうすればいいのでしょうか。

→ ネタは自分の中にある
 自分の内なる情報に目を向けることの方が、外の情報を求めるよりもはるかに効果的です。なぜかというと、
   1.自分の中には、
     これまで生きてきた中で経験し学習し考えたことが無限に蓄積されている。
   2.それらが自分の中で融合し、熟成して、飛び出すチャンスを待ち構えている。
   3.それらが自分に対して働きかけている。だから、自分はいま考えている。
からです。だから、外の情報を探し求めるより、目を閉じて自分の中を見つめた方がいいんです、きっと。
 自分こそがネタの宝庫。最大の情報源は、自分なんです。すぐに外に情報を求めるのは、自分を信用してないってこと。これもまた思考の芽を摘み取ってるだけなんだ。・・・もったいないったらありゃしない。

 続いて、話をストップさせるのに効果的な、3つのセリフを紹介します。

◇ まっ、人それぞれですから
 このセリフは、あらゆるものを優しく包み込んでくれます。 要するに「何でもアリ」ということですから。何気ないセリフのように見えますが、それまでの話がスムーズにストップします。いかなる分析も、いかなる主張も、吹っ飛んでしまうくらい威力があります。

◇ それって、差別発言ですよ
 これは、相手の口の中に饅頭を丸ごと押し込むのと同程度の効果があります。相手は少なくとも3分間は、何もしゃべれないはずです。人がタブー視していることに、報道機関は触れない。それと、同じ原理です。

◇ 以上、わたしの感想です
 このセリフは、自分の発言に突っ込みを入れて欲しくないときに使います。相手が冷静なら、「あぁそうですか」しか言えなくなります。それでも突っ込まれたら、1番上に書いたセリフを使いましょう。「まっ、人それぞれですから」と。

2020年12月28日月曜日

☆ ブログにはバカなことを書きたい

 今から14年前、年末年始の4日間にわたって私がSNSに上げた文章を、そのまま載せます。タイトルも当時のままです。今にして思えば、私のSNSライフのスタートラインはここにあると言えるでしょう。
 読み返して思うのは、14年経っても何も変わっていないということ。多少はまとめるのが上手になったのでしょうけれど、問題意識は変わっていない。今だに答えが見えていないとも言えるし、当時すでに答えが見えていたとも言える。

  ◇ ブログにはバカなことを書きたい    (2006年12月30日) 
  ◇ 続・ブログにはバカなことを書きたい   (2007年1月1日) 
  ◇ ブログにはバカなことを書きたい:第3弾 (2007年1月2日) 
  ◇ ブログにはバカなことを書きたい:第4弾 (2007年1月3日) 

 そして「タイトルのその気持ちを持ち続けよう」という心意気に改めて同意したい。そう、最近わりとまともなことばっかり書いていることを大いに反省しなきゃいけない。

ブログにはバカなことを書きたい

(2006年12月30日)

 「バカなこと」というのは語弊がありますが、ブログで「チャレンジしたい」というボクの思いを書きました。知ってることだけでなく、「考えてる最中の、まだ形になっていないもの」を書きたいということです。そうすれば、イヤでも「バカなこと」になるはずです。
 完全なパブリック環境では「バカなこと」を書けません(ホントのバカになってしまいます)。完全なプライベート環境では「形にしよう」というモチベーションが働きません。
 ブログは、プライベートとパブリックの中間にあります。そのビミョーなポジションが、チャレンジするのに絶妙だと思うわけです。「人目に晒す」という多少のプレッシャーが効果的なんですね。
 疑いようのない事実ばかり書いてもつまらない。個人的な感想ばかりをつづってもつまらない。自分にとっての問題を「考えるためにブログを書く」っていうのも、アリだと思います。
 中途半端でもご勘弁、意味不明でもご愛嬌。それに共感する人が現れるかもしれませんし、コメントやトラックバックからヒントを得られるかもしれません。(ブログはそんな可能性を持っています)

 ボクはこれからも「バカなこと」を書き続けます!(もっとがんばんなきゃ)

続・ブログにはバカなことを書きたい

(2007年1月1日)

 一昨日の続きです。正月三が日は、バカなことを書きたいと思っています。後で読んで恥ずかしくなるようなものを書くことが、目標です。

 さて、今日のテーマは「バカなことを書くための条件」です。バカなことが書けるためには、いくつかの条件があると思うんです。それについて、考えます。
 なぜそんなことを考えるかというと、ものを考えるためには必ずそのステップを踏むと考えるからです。何が問題なのかが自分でもわからないような問題に取り組むことを、ここでは想定しています。答えはもちろん見えないし、答えがあるのかどうかもわからない。問題そのものも不明瞭だから、人に質問することもできない。その問題について発言すれば、イヤでも「バカなこと」になるに違いありません。
 問いが明確であれば、スマートに考えることもできるでしょう。しかし明確な問いにばかり答えていては、問いを立てる力が弱くなっていくのではないかと思うのです。
 ついつい考えてしまう問題を抱えている人はラッキーだと思います。それを書けばよいのですから。
 でもね、人間ってきっかけも何もないところで考えたりはしないと思うんですよ。何かしらつかんでるから、でもよく見えないから、考えちゃうんだと思うんです。
 つまり、疑問=ヒント だと思うんですね。疑問を持った時点で、すでに解答までの道なかばにある、と。

今日の結論。 バカなことを書くための条件は、

  《条件1》疑問を感じる能力を持ち続けている。
       それを失わないためにも、時々やった方がいいんじゃないかな。
  《条件2》その疑問が自分にとっての「チャンス」であることを知っている。
       それ(疑問や悩み)をネガティブにみる発想じゃダメですね。
  《条件3》一定期間それを考え続けるタフさ・ラフさ・ズウズウしさを持っている。
       でも、それが楽しいといえば楽しいんです。

 さて、年始早々のバカ発言、いかがだったでしょうか?
 まったく説得力ありませんね。とても人に読ませられるようなものじゃありません。後で読んだときに恥ずかしいと思うのでしょうか。 だとすれば・・・当初の狙い通りと言えるのかな?

ブログにはバカなことを書きたい:第3弾

(2007年1月2日)

 正月三が日は、バカなことを書こうと心に決めました。
 今日のテーマは「事実より、ものの見方」です。あるいは「事実より、仮説」と言いかえることもできます。「前者より後者の方が、価値がある」ということを考えてみようと思います。
 意味不明の文章になることは必定ですが、もとより覚悟の上です。現段階では「バカな発言」でも、「そのうち形になるだろう」という期待があるから、書くわけです。

 「事実」とは「=誰が見ても正しいもの=客観」と言えるでしょう。「見方=仮説」はさらに言い換えると「=解釈=考え方=主観」となりそうです。また「事実は1つ、ものの見方はたくさんある」という比較もできるでしょう。
・・・と、ここまで書いてきて、ボクの問題意識からズレてきているように思いました。
・・・両者を比較することがボクの課題ではないんですね。

 実はこの問題、昨日からもう丸1日考えています。その間に「事実と見方」を比較しながら、文章を書いたり消したりしてました。そして気がついたんです。
 なぁんだ、「そんなふうに考えようよ」で十分なんだ、と。

 考えてみると、ボクのテーマ「事実より、見方」そのものが、ものの見方であり、仮説です。こんなものが事実であるなんてことは、ありえません。
 ところで、2者を比較して1者の優位性を示そうとすることは、事実を求める姿勢です。それが悪いとは言いませんが、「事実より、見方を」という自分の主張にはそぐわないわけです。
 結局ボクが言いたかったのは、
  ・ きちんと証明できるまで発言しなかったら、何も言えないよ。
  ・ 仮説あるいは考え方として、発言すればいいじゃないか。
ということだったんでしょう。

「そんなの当たり前だ!」だって?
「そんなこと1日中考えてるなんて、ホンモノのバカだ!」ですって?
 いや、そうでもないんです。情報科の授業で生徒に「自己表現」させているボクにとっては、これは切実な問題だったんです。きっと。実際に授業をやってみると、こんなふうに思ってる生徒がいるように感じるんです。
  ・こんなこと(自己表現)やって、ナンの意味があるんだ。
  ・そんなものどーでもいいから、情報科の授業ではコンピュータ使わせろ。

 あるいはこんなふうに言われるかもしれませんね。「お前は自分をごまかしてるぞ」、「自分の問題から逃げてるんじゃないか」と。
 いや、そうでもないんです。
 事実の価値基準が「正しいか否か」だとすると、見方の価値基準は「妥当か否か」です。だから、ボクの考えが正しいか否かは関係ないんです。ボクの考えが「妥当だ」と人(生徒)が思ってくれれば、それでいいんです。

 さて、今日のバカ発言はいかがだったでしょうか?
 バカなことを書くつもりが、あんがい体よくまとまってしまったような気もするし、答えになっていないような気もするし。。。