2019年3月25日月曜日

日本の高度成長は何だったのか?

◇ 日本の高度成長は何だったのか?
 第2次大戦後、アメリカが世界中にドルをばらまいて、日本がそれを回収してまわった。日本の高度成長を単純に言えば、そういうことになる。
 通常の貿易において輸出と輸入はおよそバランスを保つものだが、世界通貨ドルだけは例外である。アメリカ以外の国はドルを手に入れないと世界貿易に参加できないから、最初はまずドルを貯め込まなければならない。アメリカ側から見れば、ドルが世界にあまねく広がっていくまでは、アメリカは輸入して消費する一方でも成り立つということだ。
 戦後アメリカが最初にドルをばらまいたのは日本だった。復興のための資金は、アメリカがただドル紙幣を印刷すればよかった。日本のモノをアメリカが買うにあたっても、インフラ整備のための労働力を確保するにあたっても、アメリカは印刷したドル紙幣を日本に渡せばよかったのだ。そして、だんだんと日本はドルを蓄えて、世界貿易に参加できるようになった。
 後進国が経済発展する過程は次の2点で説明できる。1つは、後進国から先進国に一方的に輸出してドルを蓄えること。この際、1次産品(食料や地下資源)を安く売ることになる。高い2次産品(工業製品)を買うためである。もう1つは、先進国がドルを持って乗り込んで、インフラを整備し、工場を立ち上げること。目的はもちろん、先進国が利益を上げるためである。この際、後進国の人件費は安く抑えられる。後進国はこの2つの搾取の構造に耐え、そのおこぼれにあずかりながら、少しずつ経済発展するのである。
 日本がいち早く経済発展できた最大の理由は、アメリカによる占領にあった。他のどの地域よりも早く、大量のドルが流れてきたからである。でも日本はアメリカにはなれない。円が世界通貨でないからである。一方のアメリカは、他の後進国でもドルをばらまいた。そこで日本はどうしたかとうと、アメリカがばらまいたドルの回収に走ったのである。すなわち、工業製品を売りまくったのである。
 こうして日本は高度成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たした。

◇ 国の豊かさと個人の豊かさ
 ところで、国が豊かになることと国民が豊かになることは同じではない。国民が豊かになるためには、国が豊かになることに加えて、その豊かさが国民にうまく分配されなければならない。
 では、高度成長下の日本ではどうだったかというと、分配がうまくなされたのである。そして、分配がうまくなされた訳は、日本が製造業大国だったその点にこそある。
 極端にいえば、日本は世界の製造業を一手に引き受けたのである。しかも、製造業は人手がかかる。だからその時代の日本はほぼ完全雇用の状態にあった。こうして日本の国が豊かになると同時に、その豊かさが国民に広く分配されたのである。「1億総中流」という言葉がその時代を象徴している。
 その点において、先進国の中でも日本は異例の存在だった。アメリカでは経済格差が広がり、西ヨーロッパでは階級社会が維持された。もちろんアメリカにも西ヨーロッパにも製造業はあったが、日本との比較でいうと、アメリカは金融(ドルの特権)と資本(戦前・戦中の蓄積)で豊かになった。一方、西ヨーロッパはブランド(ファッションや車など、今でもそうだ)で豊かになった。けれども、金融や資本やブランドで国が豊かになっても、国民一人ひとりが豊かになるとは限らない。それに対して日本は、物づくりで栄えたが故に、国民みんなが豊かになったのである。
 いずれも過去の話である。


            

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