◇ 成長の終わりの始まり
第2次大戦直後、世界の先進国はアメリカだけだった。日本と西欧がそれに続いた。この頃は途上国が発展する過程にあって、それに便乗する形で日本は高度成長を遂げた。
けれども、その環境はすでに変わった。新興国が出てきた時点が、終わりの始まりである。韓国や台湾は日本の高度成長期には発展途上国だったが、今では先進国の一員である。次に控えるのが、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・チャイナ)と言われる国々である。かつては先進国の成長を支える立場だったものが、今では先進国と争う立場になった。
一方で、これから成長するであろう地域は残り少なくなった。中国や東南アジアの人件費も上がってきて、「次に進出するべきはミャンマーだ、バングラだ」とか、「最後のフロンティアはアフリカだ」とか言う声があるが、もう地球上に残された未開拓地は多くない。
開拓を進めるうちに、既開拓地が増え、未開拓地が減った。既開拓地の住民は今度は開拓者として未開拓地に乗り込もうとする。けれども、残り少ない未開拓地に大勢の開拓者が押し寄せる状況では開拓者全員が開拓地を広げることなどできようがない。
◇ 交易条件が変わった
シンプルに語ろう。先進国は途上国に工業製品を売る。途上国は先進国に食料・地下資源・労働力を売る(要するに、途上国が先進国に対して売れるのは、食料か資源か労働力くらいしかないということだ)。概ねこれが先進国と途上国の交易の姿だ。
先進国が少数派で、途上国が多数派だった時代には、工業製品には高い値がつき、食料・資源・労働力は安かった。需給関係を考えれば自然なことだ。だから、この時期の日本は栄えたのである。安く資源を買って、製品を高く売り、そうして稼いだお金で食料を安く買っていたのだから、豊かにならないはずがなかった。
ところが、先進国が増えて、途上国が少なくなってくると、交易条件も変わる。まず、工業製品を売ろうとするライバルばかりが増えて、売り込む先が少なくなるのだから、日本のシェアが減るのは必然である。また、需給関係を考えれば、工業製品の値段が下がり、食料・資源・労働力の値段が上がる。すなわち、日本がシェアを落としながら、かつ利幅を減らすのは、これもまた必然なのである。
日本は物作り大国として豊かになった。また豊かになった理由が人手のかかる物作りであったが故に、その豊かさが国民に分配されて国民みんなが豊かになった。けれども、そんな時代は終わったのである。日本全体として豊かになることが難しくなると同時に、国民一人ひとりが豊かになるのはもっと難しい、そういう時代になったということだ。
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