2020年12月28日月曜日

ブログにはバカなことを書きたい:第4弾

 (2007年1月3日)

 バカ発言、とりあえず最終回の予定です。
 過去2回はまずテーマを立ててそれから考えましたが、今日は違う順序でいこうと思います。この手の問題を考える場合、問いが明確に立っているということはありえないと思うからです。「問いと思索と答えは一体」もしくは「問いは答えの一部」であるということなんでしょう。
 そして実際に、いま現在ボクはその 問い=テーマ を立てられない でいるのです。バカ発言をするのに、ちょうどいいあんばいですね。でも最後には「問い=テーマ」と「答え」がある程度見えるようになっていることを期待しながら、始めます。
 この3日間、「バカなことを書こう」と決めて実行してきましたが、けっこうキツイんですね。これってナンなんだろうってことを書きたいわけです。同時に「日常のことや感想をダラダラ書くのはラクだよなぁ」と思ってしまいました。

 ボクがトライしている問題がどういうジャンルに属するのか、から考えましょう。
 これって、思春期にたいていの人が経験するのと同じジャンルなのかもしれません。あるいは、実はみんないつも似たようなことを考えているのかもしれません。
 でも、ボクにとっては「久しぶりだなぁ」って感じです。このジャンルにネーミングするとしたら、何がいいんでしょうか?
 ボクは「このジャンルのことをやることに、意味があるのかないのか」を考えようとしているのでしょうか。
 いや、ちょっと違いますね。「意味がない」と考えるなら、最初からこんなこと書くはずがありません。それを言うなら、「意味があると言おうとしている」ということになるでしょう。
 でも、世の中を見ると、みんながこんなことに取り組んでいるようには見えません。実際にはしているのでしょうけれど、はっきりと目に見える形にはなっていませんね。
 テレビではバラエティーばかりやってて、みんな楽しいことばかり考えているように見えます。生徒の発言にもブログの記事にも「おもしろいことを、気の効いたことを」という熱意ばかりを感じます。
 かたや、いまボクが考えているジャンルのことは、非常にマイナーな存在になっているという気がします。・・・ボクは、それの復権を考えているのでしょうか。
 先ほどから「ジャンル」とか「それ」と書いてますが、やっぱりうまくネーミングしたいですね。そうじゃないと、わかりやすい文章にならないし、まとまりませんものね。
 ・・・ここで、気がつきました。うまくネーミングできれば、問いと答えが引き出せるかもしれない、と。。。

 中途半端ですが、今日はここで終わります。3日間ブツブツ考えてきてよかったと、いま思っています。ときどきこんなのやらないと錆びれるよね、とも。そして、こんなブログの使い方もアリだよね、って。

2020年12月25日金曜日

☆ お金という臆病な生き物

 お金に振り回されないために、お金と上手に付き合うために、ときにはお金についてじっくり考えてみましょう。

  ◇ お金という臆病な生き物 
  ◇ 「格」と「差」の間に 
  ◇ 国内総生産のカラクリ 

 お金って案外バカバカしいものなのかもしれませんよ。


「格」と「差」の間に

 「差」とは「収入の差」のことだ。あるいは「貧富の差」のことだ。「格差」という言葉を使う人の間で、そこにブレは無かろう。
 では、「格」とは何者か? 「差」といえば十分であるかもしれないのに、なぜ「格」をつけるのか? そこにどんな意味を込めているのか?

 探ってみよう。「格」という文字は「性格、人格、品格、風格」のように使われる。しかし、いずれの使い方においても、「お金」という意味合いはどこにも無い。さて、いかなる理屈で「格」と「差」がつながるのか?
 「教育格差」という言葉もある。その意味は単に「学力の差」ということではない。むしろ焦点は「教育にかけられるお金の差」にある。「貧富の差」が「教育の差」を生んでいるという主張だから、ここでも「格差」はお金と結びついていると考えざるを得ない。
 「格差」という言葉が出てくる発端は、いつもお金の話なのだ。それでいてこの言葉は、人の価値みたいなものを中途半端に匂わせる。説明不足なのだ。 話が飛び過ぎなのだ。だから人を戸惑わせるばかりで、何のヒントも与えない。
 こう言いたいのだろうか? 「収入の差」が「性格、人格、品格、風格」に影響して「人間の格付け」を決める、と。厳しい物言いであるが、「格差」という言葉にそういうニュアンスを感じないわけではない。そして、そういう面もあるのかもしれないな、とも思う。

 でも、それにしても「格」と「差」にはずいぶん開きがある。「収入の差」がいかにして「格の差」になるというのか? 「お金の差」がいかにして「人の格」に作用するのか? その間をもうちょっと埋めてみた方が、事態がよく見えるんじゃなかろうか?


2020年12月12日土曜日

コロナ健康観察票の今

文部科学省発行の「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」

「健康観察表」は、児童生徒等の朝晩の体温、体調、同居家族の状況、保護者のサイン等を記入し、登校時に持参します。(P.22)

(P.23)

 健康観察票でチェックしているのは「測ったか?」ではない。「発熱しているか?」でもない。健康観察票でチェックしているのは「書いたか? サイン(または印)したか? 持ってきたか?」である。
 だから多くの生徒たちは「書いて、サイン(または印)して、持ってくる」もしくは「カバンもしくは学校の机に入れたままの紙に書いて、サイン(または印)して」チェックを受ける。それさえしていれば問題は起きない。いずれかのステップを取りこぼすと面倒なことになる。
 「測ったか? 発熱しているか?」がチェック項目に入ることは、論理的にありえない。なぜならそれらを学校でチェックするとしたら、そもそも健康観察票に意味が無いことになるからだ。こうして、チェックする側にとっても、チェックを受ける側にとっても「測ったか? 発熱しているか?」は「どうでもよいこと」になるわけである。

2020年12月6日日曜日

もし自分が生まれてこなかったならばどうなっていたか?

 以前の記事「やりたくないこと、なりたくないもの探し」にこう書いた。

「何をやりたいか、何になりたいか」を考えるより、むしろ「何をやりたくないか、何になりたくないか」を考えた方が良いんじゃないだろうか。

 今日も似たようなことを考えた。

「死んだら、どうなるか?」を考える際に、同時に「生まれてこなかったら、どうなっていたんだろう?」を考えると、いろいろ見えてくることがあるんじゃないだろうか。

と。考察を続けよう。
 もし自分が生まれてこなかったならば、自分にとって世界は無い。何も無い。きっとそうに違いない。
 自分が生まれてこなくても、なにがしかのものはあるのかもしれない。けれども、自分が生まれてこなかったのならば、それは自分にはあずかり知らぬこと。自分にとっては、何も無いということだ。今ここにある世界は自分が生まれたから「ある」のであって、もし自分が生まれてこなかったならば、自分にとってはこんな世界は「無い」。きっとそういうことなんだろう。
 その考えに立って「自分が死んだらどうなるか?」と考えると、要するに「生まれてこなかった場合と同じ状況になる」んじゃないか。すなわち、自分にとっては「何も無い」状態になるということ。
 他の人にとっては世界は続くのかもしれない。けれども、それは自分にはあずかり知らぬこと。生まれてこなかった人にとって「無い」のと同様に、死んだ後には何も「無い」んじゃないだろうか。
 それでいいじゃん・・・と考えてみた。

子どもに聞かれたらどう答えるか?

 SNS上の友人からの問いかけ、「子どもに聞かれたらどう答えるか?
  • 「うまくいかないことがあるときどうしたらいいの?」
  • 「おかしいな、と思うことがあるときどうしたらいいの?」
  • 「みんながわかってくれない、と思ったときどうしたらいいの?」



 それに対して応えたこと。ここに記録しておく。

○ 「うまくいかないことがあるときどうしたらいいの?
→ 君が難しいことにチャレンジしてるってことだろうな。簡単にできることだけやっていれば「うまくいく」だろうけれど、それじゃつまらないでしょ。だから、うまくいかない方がいいんだよ。

○ 「おかしいな、と思うことがあるときどうしたらいいの?
→ 君は何かに気づいたんだね。はっきり言葉にならなくても、直感的にわかっちゃったんだよ。その感覚を大事にしてほしいな。忘れずにいれば、その直感が正しかったってことがやがてきっとわかる。

○ 「みんながわかってくれない、と思ったときどうしたらいいの?
→ 凡人には理解できないくらいの天才ってことなんだろうな。だからわかってもらおうなんて考えない方がいい。君が凡人のレベルに合わせたら、君も凡人になっちゃうぞ。君は天才でいた方がいい。

2020年12月5日土曜日

国家は何のためにあるのか?

◇ 国家は何のためにあるのか?
 経済のグローバル化が進んで人と物の移動が盛んになれば、賃金も物価も世界で同じ水準に近づいていく。それがグローバル経済の1つの帰結である。その意味では世界は1つになっていくということだが、一方で国家の枠組みがなくなる気配は今のところ無い。
 ところで、国家が何のためにあるかというと「税を取り立てるため」にあるのである。税金を納めたくないなら独立すればいいのだが、それをやろうとするとどうなるかというと、国家はそれを阻止するために軍事攻撃を仕掛けてくる。つまり「圧倒的な軍事力を背景にして、強制的に税を取り立てる仕組み」、それが国家の本質である。
 もしあなたが「軍事力とは外国と戦うためのもの」と考えているとしたら大きな勘違いだ。それ以前に「国民を従えるために、国民が逆らわないようにするため」に軍事力はあるのである。現に世界の軍隊の多くは内戦もしくは国内での騒動を鎮圧するために投入されている。アフリカでも中東でもロシアでも中国でも、多くの場合、銃口は自国民に向けられる。

◇ それでもあなたは日本で働きますか?
 グローバル経済の帰結として出てくるのは、世界の賃金水準が等しくなっていくこと。つまり、これからの時代、職種が同じなら、おそらくどこで働いても収入はそんなに変わらないだろうということだ。あなたは日本で働いてもいいし、外国で働いてもいい。あなたは自由に選べる。選ぶのは、あなただ。
 一方で、国家の枠組みは当分のあいだ残るだろう。そして国家にはそれぞれの事情がある。日本の特殊事情は2つ。少子高齢化と国債残高だ。そしてそうなると、税が違ってくるのである(上に書いたように、そのために国家があるのだから)。日本で働いた場合は、年寄りの世話と借金返済のために、稼いだうちのかなりを部分を取り上げられそうな勢いである。
 さて、あなたは日本で働きますか? それとも外国で働きますか?