2020年12月6日日曜日

もし自分が生まれてこなかったならばどうなっていたか?

 以前の記事「やりたくないこと、なりたくないもの探し」にこう書いた。

「何をやりたいか、何になりたいか」を考えるより、むしろ「何をやりたくないか、何になりたくないか」を考えた方が良いんじゃないだろうか。

 今日も似たようなことを考えた。

「死んだら、どうなるか?」を考える際に、同時に「生まれてこなかったら、どうなっていたんだろう?」を考えると、いろいろ見えてくることがあるんじゃないだろうか。

と。考察を続けよう。
 もし自分が生まれてこなかったならば、自分にとって世界は無い。何も無い。きっとそうに違いない。
 自分が生まれてこなくても、なにがしかのものはあるのかもしれない。けれども、自分が生まれてこなかったのならば、それは自分にはあずかり知らぬこと。自分にとっては、何も無いということだ。今ここにある世界は自分が生まれたから「ある」のであって、もし自分が生まれてこなかったならば、自分にとってはこんな世界は「無い」。きっとそういうことなんだろう。
 その考えに立って「自分が死んだらどうなるか?」と考えると、要するに「生まれてこなかった場合と同じ状況になる」んじゃないか。すなわち、自分にとっては「何も無い」状態になるということ。
 他の人にとっては世界は続くのかもしれない。けれども、それは自分にはあずかり知らぬこと。生まれてこなかった人にとって「無い」のと同様に、死んだ後には何も「無い」んじゃないだろうか。
 それでいいじゃん・・・と考えてみた。

子どもに聞かれたらどう答えるか?

 SNS上の友人からの問いかけ、「子どもに聞かれたらどう答えるか?」
  • 「うまくいかないことがあるときどうしたらいいの?」
  • 「おかしいな、と思うことがあるときどうしたらいいの?」
  • 「みんながわかってくれない、と思ったときどうしたらいいの?」



 それに対して応えたこと。ここに記録しておく。

○ 「うまくいかないことがあるときどうしたらいいの?」
→ 君が難しいことにチャレンジしてるってことだろうな。簡単にできることだけやっていれば「うまくいく」だろうけれど、それじゃつまらないでしょ。だから、うまくいかない方がいいんだよ。

○ 「おかしいな、と思うことがあるときどうしたらいいの?」
→ 君は何かに気づいたんだね。はっきり言葉にならなくても、直感的にわかっちゃったんだよ。その感覚を大事にしてほしいな。忘れずにいれば、その直感が正しかったってことがやがてきっとわかる。

○ 「みんながわかってくれない、と思ったときどうしたらいいの?」
→ 凡人には理解できないくらいの天才ってことなんだろうな。だからわかってもらおうなんて考えない方がいい。君が凡人のレベルに合わせたら、君も凡人になっちゃうぞ。君は天才でいた方がいい。

2020年12月5日土曜日

国家は何のためにあるのか?

◇ 国家は何のためにあるのか?
 経済のグローバル化が進んで人と物の移動が盛んになれば、賃金も物価も世界で同じ水準に近づいていく。それがグローバル経済の1つの帰結である。その意味では世界は1つになっていくということだが、一方で国家の枠組みがなくなる気配は今のところ無い。
 ところで、国家が何のためにあるかというと「税を取り立てるため」にあるのである。税金を納めたくないなら独立すればいいのだが、それをやろうとするとどうなるかというと、国家はそれを阻止するために軍事攻撃を仕掛けてくる。つまり「圧倒的な軍事力を背景にして、強制的に税を取り立てる仕組み」、それが国家の本質である。
 もしあなたが「軍事力とは外国と戦うためのもの」と考えているとしたら大きな勘違いだ。それ以前に「国民を従えるために、国民が逆らわないようにするため」に軍事力はあるのである。現に世界の軍隊の多くは内戦もしくは国内での騒動を鎮圧するために投入されている。アフリカでも中東でもロシアでも中国でも、多くの場合、銃口は自国民に向けられる。

◇ それでもあなたは日本で働きますか?
 グローバル経済の帰結として出てくるのは、世界の賃金水準が等しくなっていくこと。つまり、これからの時代、職種が同じなら、おそらくどこで働いても収入はそんなに変わらないだろうということだ。あなたは日本で働いてもいいし、外国で働いてもいい。あなたは自由に選べる。選ぶのは、あなただ。
 一方で、国家の枠組みは当分のあいだ残るだろう。そして国家にはそれぞれの事情がある。日本の特殊事情は2つ。少子高齢化と国債残高だ。そしてそうなると、税が違ってくるのである(上に書いたように、そのために国家があるのだから)。日本で働いた場合は、年寄りの世話と借金返済のために、稼いだうちのかなりを部分を取り上げられそうな勢いである。
 さて、あなたは日本で働きますか? それとも外国で働きますか?

コロナの健康観察票にひっかかる人とは?

 コロナの健康観察票にひっかかる人とはどんな人か? 「感染していて、かつ症状があって、真面目で正直で、しかもバカ」・・・でも、そんな人いないから。つまり、健康観察票なんてやるだけ無駄だと思うな。


 来週から期末試験で、今日が2学期の最後の授業。高校3年生は3学期に授業がないので、今日の4時間目が高校生活最後の授業だった。
 高校3年のあるクラスで、たまたま僕がその最後の授業の担当だった。今更やることもないので自習にして、暇だから僕が黒板に下のように書いた。
 生徒たちは共感してくれた。その後で、みんなで記念写真を撮ろうということになって、黒板の文字もバッチリ入れた。

 こんなことを毎日毎日オレたちはやっている。健康観察票の記入・押印とチェックだ。揃いも揃って、みんな大バカじゃないか!?
 健康観察票なんて自己申告なんだから、紙に書いてチェックを受ける必然性は無いんだよ。「熱があったら来るな」、これだけ言うのと何も変わらないのに。


※ ちなみに僕も毎朝、出勤簿に数字を書いている。バカバカしいと思いながら、もうやめようよと思いながら書いている。その数字が体温かどうか、そんなこと知ったこっちゃぁない。検温したかどうかは、そんなもん対象外なんだよ。

2020年12月3日木曜日

「税」の成り立ち

 のぎへん(禾)は穀物を表し(稲、穂、稔)、つくり(兌)は薄くはぎ取るさまを表す(脱、説、鋭)。
 つまり、汗水ながして手に入れたものを、べりっ、べりべりっと1枚ずつはぎ取るのが「税」である。

・・・ と同僚の政経の教員が言ってた。いたそぅ 。。。

同一労働同一賃金が起きる場所

 先進国と発展途上国の給与水準と物価水準はこれまで大きく開いていたが、これからはだんだん近づいていくだろう。それがグローバル経済の一つの帰結である。人と物が国境を越えて自由に行き来するこれからの世界では、これまでの先進国で給与水準が下がり、物価水準も下がる(デフレ)のは必然である。 別の言い方をしよう。日本の高い人件費を避けて、工場が人件費の安い発展途上国に移転する動きがあるが、それを阻止するのは簡単だ。日本人の賃金を下げればいいのである。そうすれば、工場は国内にとどまる。
 いや、無理に下げなくても、工場が移転した先では人件費が上がり、工場が去った日本では人件費が下がって、その差はだんだん小さくなっていくだろう。需要と供給の関係を考えれば、そういうことになる。

 「同一労働同一賃金」という言葉がある。 最近の使われ方は、こうだ。「正社員と派遣社員が同じ仕事をしているのに賃金が違うのはおかしい。派遣社員の給与を正社員並みに引き上げろ」と。この言い方の前半部分は正しいが、後半部分は間違っている。
 逆だ。派遣社員の急増は、日本人の人件費を下げる方向への力がすでに働いていることの現れである。でも、まだ終わっていない。労働者の一部はすでに賃金が下がり始めているが、これからは残りの労働者の賃金が下がるだろうからである。むしろ、今後は「正社員の給料が派遣社員並みに下がる」ことを想定するべきだろう。そういう形で、同一労働同一賃金になっていくのだろう。
 ブルーワーカー(工場労働者)だけではない。ホワイトワーカー(オフィス労働者)も間もなくそうなるだろう。日本のホワイトワーカーが外国のホワイトワーカーに比べて生産性が特に高いわけではないだろう。であれば、日本のホワイトワーカーだけが高い賃金をこれからも得つづける道理などあるはずがない。
 同一労働同一賃金は世界規模で起きるのである。その動きは、日本人の給与水準がミャンマー人の給与水準と同じ程度になるまで続くだろう。ちなみに、物価水準も下がるから、必ずしも日本人が貧しくなるとは限らない。

2020年12月2日水曜日

コロナ対策のストレスから子供たちを守れ

 ある学校の先生が言っていた。「コロナ・ウィルス感染から子供たちを守る」と。しかし、私は思う。子供たちにとっての現実的なリスクは、ウィルス感染そのものよりも、ウィルス対策によるストレスの方だ。だから、いま言うべきは「コロナ対策のストレスから子供たちを守る」ことじゃないか、と。
 子供たちがコロナ・ウィルスに感染しても多くの場合無症状で、もしくはせいぜい軽症だ。重症化する可能性は小さい。そのリスクはゼロではないにせよ、インフルエンザなど他の病気や怪我に比べて決して大きいものではない。
 それに比べれば、コロナ対策によるストレスは確実に子供たちに及んでいる。そしてそのことに因るであろう弊害がすでにいろんなところに出てきている。

「高齢者をウィルス感染から守るために、子供たちにも協力してほしい」ということなら理解できる。そしてその場合は「ほどほどに」ということになるだろう。それに対して「コロナ・ウィルス感染から子供たちを守る」という発想はしばしば「徹底的な」対策になりがちで、現にあちこちの学校でそうなっている。
 もうかれこれ1年近く経っているのだよ。もうそろそろ「コロナ対策のストレスから子供たちを守る」方向に舵を切った方が良いんじゃなかろうか。いや一刻も早くそうするべきだと私は思うのだ。

 そこで私は考えた。通学の電車やバスの中でマスクして声も発せず黙って乗っているのだから、学校に着いた瞬間から「コロナ対策フリー」にしてしまおう。校門を入ったらすぐにマスクを外して良いとする。大声で叫ぶもよし、じゃれ合うもよし、ツバをかけ合うバカがいても「勝手にやってろ」と放置する。
 そして下校時の電車・バスの中では再びマスクをして静かに乗る。「高齢者をウィルス感染から守るため」だ。そのための協力なら惜しまない。けれどもその代わりに、学校の中では思う存分自由に、コロナのことをすっかり忘れて過ごす。これが「コロナ対策フリーな学校」だ。
 絶妙なバランスだと思うな。それくらいで行こうよ。