2020年2月2日日曜日

正誤の問題 と 意思の問題

 記事「そもそも議論とは何なのか?」に戻るわけではありませんが、ここで似たようなことを考えます。
◇ 議論とは何なのか?
いや、全く同じことを考えようとしているわけではないんです。何が言いたいのかというと、この問題は「正しいか間違っているか」という「正誤の問題」ではなくて、「どのようにとらえるか」という「意思の問題」だということです。
 みなさん、お気づきでしょうか? 世の中の多くの問題は「正誤の問題」ではなくて、「意思の問題」だということを。たとえば、
◇ 今日の昼メシは、マックにしようか? それともラーメンにしようか?
これは、どっちが正しいかという問題ではありません。どちらを選択するかという意思の問題です。この例は自明でしょうけれど、
◇ 何ベクレルまでなら食べても大丈夫か?
という問題も同じです。これは「どこまで許容するか」という意思の問題です。これを正誤問題ととらえると、議論が無意味なものになってしまいます。放射線量が低いに越したことは無いのですが、ゼロ・ベクレルのものだけを食べるのでは生きていけませんから。
◇ 太陽が地球の周りをまわっているのか? それとも地球が太陽の周りをまわっているのか?
これも同じです。別にどちらの立場に立っても構わないのです。両方とも正しいのです。問題は「どっちが正しいか」ではなくて、「どちらの見方をした方が宇宙を理解しやすいか」ということであって、誰かが(たぶん専門家たちが)「地球が太陽の周りをまわっている」ととらえた方が理解しやすいだろうと判断して、「そのように考えることにしよう」と決めたのです(ちなみに、「太陽は東から昇って西に沈む」という言い方は「太陽が地球の周りをまわる」という天動説的な立場の表現ですが、間違いではありません)。だから、この件も意思の問題なのです。他には、
◇ 原発は安全か?        とか、
◇ 日本の年金制度は破綻するか? とか、
◇ 宇宙に果てはあるか?     とか、
これらも全部、意思の問題なのです。これらを正誤問題だと考えるから、混乱したり炎上したりするのです。
 それにしても、学校のせいか、テレビの影響か、いろんな問題を正誤問題だと勘違いする人が多い。学校では事あるたびに○×をつけ、テレビでも○×クイズばっかりやってます。その効果がてきめんに出ているということでしょう。それはそうと話を戻すと、私は
◇ 議論というものをどのようにとらえたら良いか?
というその「とらえ方」を提案したいわけです。ですから、まず私にとってこれは意思の問題です。そして、みなさんにとっては、私の提案を受け入れるか否かという意味で、やっぱり意思の問題だと思うのです。
 それを提案することで私がみなさんに期待するものは、納得です。理想的には、共感です。ところで、私がそこに書くことに対して「それは違う!」とか言われても困るのです。私は「正しいこと」なんて何一つ言うつもりはないのですから。

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