けれども、その2つをボクたちは無意識のうちに厳密に使い分けているようである。たとえば、
(a) 犯人 は 誰だ?この2つはほぼ同じ意味だが、(a) の文の「は」を「が」で置き換えたら、俄然おかしい。(b) の文の「が」を「は」で置き換えても、やっぱりおかしい。置き換えた文は、日本人がしゃべる文ではない。
(b) 誰 が 犯人か?
(c) 私 が やりました。もそうだ。「が」と「は」を入れ替えたら、かなりヘンな日本語だ。
(d) 私 は やってない。
さて先日、外国人に日本語を教えている先生(日本人)からこんな話を聞いた。外国人に教えるとき、
「大事なものが前にあるときは が を使い、大事なものが後にあるときは は を使う」と説明する、と。つまり、(A > B)なら「A が B」となり、(A < B)なら「A は B」となる、ということである。
この説明、パーフェクトなんじゃなかろうか。(a) , (b) の文で大事なのは「誰?」という部分である。「犯人」という言葉はすでに前の文脈で出ているはずだから、この時点ではそれほど大事な要素ではない。
(犯人 < 誰)だから (a) 「犯人 は 誰だ?」となり、(誰 > 犯人)だから (b) 「誰 が 犯人か?」となる。
また、(c) の文では「誰?」に答えて「私だ」というのだから、(私 > やった)である。だから「私 が やりました」となる。
(d) の文では「お前か?」と疑いをかけられて「違う!」というのだから、(私 < やってない)である。だから、「私 は やってない」となる。
このルールに例外はあるのだろうか? ボクには思いつかない。
◇ ゾウ は 鼻 が 長いもこのルールで説明できそうだ。
そして例外なく通用するルールなら、日本語の文法として日本人向けの学校でも教えていいんじゃないか。
<P.S.>
何気にボクが上に書いた、「置き換えた文 は 、日本人 が しゃべる文ではない」にも当てはまりそう。
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