3段論法は「(仮定1)AならばBである。 (仮定2)Aである。 (結論)だから、Bである。」というものです。
でもこれって、実は新しいことを何も言っていない 。2つの仮定で述べたことの一部 を、結論でしゃべっているだけなのです。論理的にはカンペキに正しいのですが、つまり何も言っていないに等しいとも言えるわけです。
「AはAである。」あるいは「AならばBである。BならばCである。だから、AならばCである。」も同じです。
どちらも100%正しい。けど、「当たり前すぎて、わざわざ言うまでもない」とも言えるわけです。
意味のある議論とは、必ず 飛躍があるものです。
- 仮定を踏まえながら、(仮定に含まれない)新しいものが結論の中に含まれているもの。
- 事実を踏まえながら、(事実とは異なる)個人の見方や考え方が文脈に含まれているもの。
「4段論法」は 厳密な正しさ を求めているものではありません。それが求めているものは、自分で考えて判断することであり、他人を説得することです。
では、それに「論法」や「論理」と名付けるのは間違っているのでしょうか。
いいえ、そうではありません。それを広い意味で「論法・論理」と呼ぶのは間違った使い方ではないと思います。
「3段論法」のように「厳密に正しいもの」は、狭い意味での「論法・論理」といえるでしょう。ですが、それは現実社会では大した意味を成さないのです。むしろ現実社会では、広い意味での「論法・論理」の方がずっと大事です。筋道をたてて考えたり、人を説得したりすることに対して「論理的」という言葉を使う方が妥当でしょう。
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