さて、先のストーリーは一体何なのか? そのストーリーはどこから来たのか?
答えはあんがい単純である。先ほどのストーリーは、実は「旧約聖書の記述」そのまま なのである。要するにそれは、ユダヤ教の教義なのだ。旧約聖書は、ユダヤ教の経典である。…確かに他人の宗教を尊重することは大切だろうが、私たちはそれを鵜呑みにしてはならないし、その行動をそのまま認めてはならないはずだ。
先ほどのストーリーを、私は次のように解釈する。
大昔、ある場所から追い出された人たちがいたらしい。それが事実で、その場所が今のイスラエル辺りだとするならば、その人たちは今でいう「アラブ人だった」と考えるのが自然である。・・・やがて、ユダヤ教が生まれ、そして世界中に広まった。ユダヤ人が世界をさまよったのではなく「ユダヤ教の信者が世界中で増えた」のである。
ユダヤ教を信じるようになった人たちには、アラブ人もアフリカ人もいたが、ヨーロッパの白人が多かった。ヨーロッパはキリスト教が多数を占める社会である。そのヨーロッパで、ユダヤ人は差別・迫害を受けた。その最たるものは、ナチスドイツが行ったホロコーストである。
彼らの信じる経典には「…追い出され…苦難を受けているが…いつの日か必ず祖国に帰ることができる。神がそのように約束した」ことが書かれている。それを実現したいという思い、迫害から逃れ安住の地を求める願い、それらがあいまってイスラエルが建国された。第2次世界大戦後のことである。
が、その場所は無人の荒野ではなかった。追い出されたのはユダヤ人ではなく、パレスチナ人だった。ユダヤ人は自分たちの系図とはほとんど無関係の場所に国を作り、パレスチナ人は祖国を失った。…そして今に至る。
今回はここまで。「パレスチナ問題に関する誤解」について、次回書きます。
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